会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

ドストエフスキーは退屈か

こんにちは。


若い頃から読書に興味のあった私は、主に日本の小説を読んで来ました。


いちばん好きだと思ったのは宮沢賢治で、そのあとは井上靖なんかも好きになりました。当時はとにかくお話として面白い本が好きだった気がします。


そして人生について悩み始める頃、今度は太宰治や小難しい思想本などを読むようになります。それで自分の抱えている葛藤のようなものがすこしは楽になればいいと思いましたが、残念ながら根本的な解決には至りませんでした。


そして外国の作家にも食指を伸ばし始めます。当時は映画化で話題になったものを読みました。「羊たちの沈黙」や、「ハンニバル」など。あとはハードボイルドものなどを読んでいました。


そして、多くの文化人が絶賛する、ドストエフスキー。こればかりは、未だに読破出来ていません。なんせ長いですし、内容もきっと苦虫を噛み潰したような独白が延々と続くであろうことは容易に想像が付くからです。


長編三部作のうちの最初の作品、『罪と罰』なんかは比較的わかりやすいんじゃないかと思います。あらすじも結構知れ渡っていて、主人公が高利貸しのお婆さんを自己の正当性から殺しに行った時、誤ってその場に居合わせた妹まで殺してしまい、罪の意識に苛まれる、といったものです。


その後、彼は娼婦のソーニャの部屋に救いを求めに行きます。


「いっしょに行こう・・・そのためにぼくはここへきたのだ。ぼくらはふたりとも呪われた人間だ、いっしょに行こうよ!」


彼の目はギラギラ光った。《半狂人みたいだ!》と、今度はソーニャがふと思った。


「どこへ行くの?」彼女はぎょっとしてこう聞くと、思わず後退った。


「それがどうしてぼくにわかる?ぼくが知ってるのは、道が同じだということだけだよ、それだけは確実に知っている、それだけさ、目的も同じなんだ!」


・・・この独白のシーンを読む限り、主人公は、かなりテンパっていると言えます。そして、その強引な理論展開は、いまの時代の人間に共通したものを感じます。・・・なんだかここで私が持論をぶちまけている姿を重ねてしまいました。


というわけで、ドストエフスキー、意外と共感を持って読めるんじゃないかと思いました。頑張って読破して行きたいと思います。

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