会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

アリとキリギリスの本当の意味

巷ではFIRE否定論というのが出て来ているらしいです。


ある程度まで頑張って資産を貯めて、その複利で残りの人生を賄っていく


これがFIREの大体の図式だと思いますが、実際にやってみて、こういうライフスタイルは自分には合わない、若しくはやることがなくて時間を持て余す、といった結論を出す人が一定数いるということでしょう。


他人事ですが、結構なことだと思います。


そう思うのだったら、復帰すればいいのです。


組織のなかで、ストレスを適度に感じながら働くというのが性に合っているという人が、世のなかには一定数の割合で存在するということです。


私はダメです。


根っからの怠け者で、楽したがりですから。またメンタルが崩壊し掛けたので、もう組織に戻るということはないでしょう。


それと、リタイヤしたら暇でやることがない、なんて人は、そもそも自分にFIREは向いていないんじゃないか、ぐらいの予想は付かなかったんですかね?


以前のエントリでお話しした、お金を貯めるだけ貯めて、そのまま死んで行ってしまう人種、といった人たちとおなじような匂いを感じます。


人との小競合いが好きで、自分はこれだけ資産を持っている、ということを対外的に見せ付けたい、という人たちです。


貯めたお金を、減って行くことを恐れずに消費する、それこそが真の賢者だと思います。


恐らくその境地に到達出来る人は、そんなに多くないかも知れません。


日本という国の特性上、アリのようにしていないと不安になる、という人種は一定数の割合で存在しますから。


その人たちにとっては会社というところが自分の存在価値を推し量る唯一の場所なのです。


グリム童話の『アリとキリギリス』がこれほど刺さる国民性もそうそうないでしょう。


私はキリギリスの生き様が逆に格好良いと思いますけどね。『生き物は死ぬまで生きればいい』という不変の定理を素直に実行しています。


そこに道徳的結論を盛り込んだのが、人間存在の悪どさ(あざとさ)だと思います。

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