会社生活を駆け抜けた日々

山登りと読書の日々

懸念が現実に

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一昨日、子供たちがスマホでゲームや動画ばかり見ていることへの懸念を書きましたが、やはり現実味を帯びて来たようです。



2026年度の調査で、一ヶ月に本を一冊も読まない小学生の割合(不読率)が、1割を超えたということです。


そしてマンガも読まなくなったということで、マンガの不読率は3割近くになった、ということです。


たとえ本を読まなくっても、マンガだけは読んだ、という人は多かったのではないかと思います。子供は絵が好きなので、その絵を主体にしたマンガならば、喜んで手にすると思うのですが、そのマンガさえも敬遠するようになってしまったとは・・・。


文部省や有識者委員会が、一刻も早く子供のスマホの使用制限を法制化するよう願うばかりです。

東京=揚げ物論

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お笑いの人が万引きで捕まった記事のなかでも触れましたが、人は都会での暮らしを一度味わうと、なかなかそこから離れることが出来ないようです。


芸能人や文化人が、東京を棲み処とするのは、仕事がそこに集中しているからというのはもちろん、何をするにも便利で、サービスが充実していて、なお且つ最先端の文化があると感じているからなのでしょう。


また大勢の人が集まるため、いつもどこかでなにかしらのイベントが開かれているという面も、毎日がお祭り騒ぎといった感じで飽きさせないのだと思います。


さて、皆さんは自分の町から都会へ行くと、なんらかの匂いが漂って来る、と思いませんか?


野原や田園に囲まれた田舎から、ある程度の規模の都会へ行くと、必ずといっていいほど『揚げ物』の匂いがします。


それまでは自然物の匂いで構成されていたのが、一転して、あの脂が熱せられた、独特の匂いがして来るのです。


私は揚げ物はもちろん好きです。お酒のつまみや、ちょっと小腹が空いたときのホットスナックまで、まだまだその魔力に抗うことは出来ません。


ですが流石に、なんとなく遠ざかった方がいいな、ということは感じています。


田舎ではそういったことに気付きやすく、また自然のなかで育てられたものに触れやすいので、そういった軌道修正も効きやすいんだと思います。


ですが都会のあの喧騒のなかでは、なかなか軌道修正も難しいのではないかと思います。


もちろん都会の人が揚げ物ばかり食べているというわけではありません。


都会の人は生活レベルも高いので、高級な食材から出来た料理も食べていることでしょう。


ですが、あの街なかに流れる揚げ物の匂いというのは、人を狂わせ、惑わせるなにかがあるのではないでしょうか?


まるで街全体が揚げ物の脂にベッタリと塗れているかのようです。


万引きで捕まったお笑いの人も、その魔力に抗えなかったのでしょう。


『東京=揚げ物』論というのを立ち上げようかと考えてもいます。


東京というのは巨大な揚げ物のようなものだ、という理論ですね。


バカバカし過ぎて、誰にも相手にされないことは明らかですが(爆)。

退屈さを教えよ

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いまは少子化で、子供一人に対しての教育費、生活費を、多く使えるというのがいい面でもあり、悪い面でもあるように思えます。


私は子供がいないのでこんなことを言うのは僭越かも知れませんが、多くの子供が塾に通い、親に送迎をして貰い、様々なゲーム機を所有し、スマホを一人一台持っています。


そのスマホも、i-phoneじゃないと格好が付かないというのだから驚きです。


i-phoneなんて、最低でも15万ぐらい出さないと手にすることが出来ない高級機です。


私たちが格安スマホを使っていることから見れば、まさに眩暈がしそうな状況です。


私たちが子供の頃は、なにもない野原で、虫を探したり、追いかけっこをしたりするのが普通でした。


学校から帰って来て、親が帰って来るまでの時間稼ぎとして、なんとかその時間を潰していたんだと思います。


もちろん面白くてやっているということもあったのでしょうが、多くの時間は退屈だったと思います。


その退屈さをしのんで、子供なりに乗り切る、ということが大事だったのではないか、と思います。


いまはゲームや動画など、退屈さを感じさせないコンテンツが目白押しです。


ですがそれらは向こう側から洪水のように押し寄せて来るもので、自分からなにかを探しに行く、という類いのものではありません。


刺激が強く、いつの間にかその刺激に慣れてしまうと、もう自分からはなにも探しに行かないという、受動的な態勢になってしまうと思います。


そしていまの若者が本を読まないという風にいわれているのは、間違いなくこの風潮がもたらしたものです。


本を読むという行為ははっきりいって刺激的ではありません。


最初は退屈さが勝ってしまうと思います。


ですがその退屈さをしのんで、なんとか読み進んで行けば、その作者のいいたいことが、すこしではあるがわかったりします。


そしてそのことがわかると、じんわりと読書というものの良さがわかって来ます。


そこに行くまでの退屈さとの勝負なのです。


『だが考えてみれば、人生というのは凡そそういうものなのではないか?』


自虐的ですが、読書をするとそういうこともわかって来ます。


だから読書というものは人格形成において大事なものなのです。


政府や官僚の面々にいいたいのは、せめて高校生になるまではスマホを持たせないといった取り決めが出来ないものか?ということです。


そうしなければ各自の内面に踏み込んで、より思索を持たせられる時間が奪われてしまい、深みのない人間ばかりになってしまうでしょう。