いまは少子化で、子供一人に対しての教育費、生活費を、多く使えるというのがいい面でもあり、悪い面でもあるように思えます。
私は子供がいないのでこんなことを言うのは僭越かも知れませんが、多くの子供が塾に通い、親に送迎をして貰い、様々なゲーム機を所有し、スマホを一人一台持っています。
そのスマホも、i-phoneじゃないと格好が付かないというのだから驚きです。
i-phoneなんて、最低でも15万ぐらい出さないと手にすることが出来ない高級機です。
私たちが格安スマホを使っていることから見れば、まさに眩暈がしそうな状況です。
私たちが子供の頃は、なにもない野原で、虫を探したり、追いかけっこをしたりするのが普通でした。
学校から帰って来て、親が帰って来るまでの時間稼ぎとして、なんとかその時間を潰していたんだと思います。
もちろん面白くてやっているということもあったのでしょうが、多くの時間は退屈だったと思います。
その退屈さをしのんで、子供なりに乗り切る、ということが大事だったのではないか、と思います。
いまはゲームや動画など、退屈さを感じさせないコンテンツが目白押しです。
ですがそれらは向こう側から洪水のように押し寄せて来るもので、自分からなにかを探しに行く、という類いのものではありません。
刺激が強く、いつの間にかその刺激に慣れてしまうと、もう自分からはなにも探しに行かないという、受動的な態勢になってしまうと思います。
そしていまの若者が本を読まないという風にいわれているのは、間違いなくこの風潮がもたらしたものです。
本を読むという行為ははっきりいって刺激的ではありません。
最初は退屈さが勝ってしまうと思います。
ですがその退屈さをしのんで、なんとか読み進んで行けば、その作者のいいたいことが、すこしではあるがわかったりします。
そしてそのことがわかると、じんわりと読書というものの良さがわかって来ます。
そこに行くまでの退屈さとの勝負なのです。
『だが考えてみれば、人生というのは凡そそういうものなのではないか?』
自虐的ですが、読書をするとそういうこともわかって来ます。
だから読書というものは人格形成において大事なものなのです。
政府や官僚の面々にいいたいのは、せめて高校生になるまではスマホを持たせないといった取り決めが出来ないものか?ということです。
そうしなければ各自の内面に踏み込んで、より思索を持たせられる時間が奪われてしまい、深みのない人間ばかりになってしまうでしょう。