会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

お金を使わないことは社会への復讐

curios

どうも、curiosです。


ブログは毎日更新が理想なのですが、いま現在仕事から帰って来て酒を飲んでバタンキューというのが日常になっていまして、なかなか記事を書く時間が取れません。


よってこの記事も、早く起きた午前3時に書いています。


こんな生活を続けるのが体に悪いというのはわかりきったことなので、一刻も早く早期退職という任務を遂行したいと思います。


さて、リタイヤ・セミリタイヤを志す人にとって、お金をどうするかということはまず最初の、そして最重要ともいえる課題だと思います。


今回は、その方法ということではなく、まずお金というものが自分のなかでどう位置付けられているかということについてお話して行きたいと思います。


セミリタイヤを志す人たちがお金は大事と思っていることは疑いようのないことです。恐らく彼らは節制し、無駄な出費は極力控えている筈です。私も、FIREという概念に出会ってからは、その思いが一層強くなりました。それ以前はどうだったか?と言えば、浪費家とは言わないまでも、自分の趣味や好きなことには、ある程度の金額を注ぎ込んでいた記憶があります。まだ若かったので、異性にも興味があったし、見栄を張りたい年頃でもありました。


ですが社会に失望し、また会社という強者どもの巣窟で打ちのめされ、お金というものに対する姿勢がすこしずつ変わっていきました。


生きていくには、お金を使わないで、ということは不可能です。そしてそのお金を得るための手段として、人は会社に勤めます。勿論、自分でなにか事業を始めたり、もともと家がなにか商売をやっていたという場合は別ですが、大体の人はサラリーマンとしてそのお金を得る手段を選択します。


そして、社会に出れば実に多様な『お金を使う』場面を目にすることになります。食べること、飲むこと、遊ぶこと、着飾ること、人と付き合うこと、実に様々です。


そして様々な局面で、その誘惑を増幅するような戦略を目にすることになります。TVのCMや、新聞・雑誌広告、または電車の中吊り広告、もしくは様々な店が立ち並ぶおしゃれなショッピングモールでの買い物、など。


実際に、そういうものは、人の目を惹きつけることは事実です。ですがその裏は、如何にして『人にお金を使わせようか』という社会の思惑が潜んでいます。いや、その一択しかありません。


休日には豪華なクルマを運転し、ゴルフやショッピングモールに出掛け、駐車場に停めた自分のクルマの優美さに満足する、そんな生活こそがこの社会の頂点だと思わせる。勿論これだけではありませんが、世の知識層の目指す到達点は大体ここです。そしてそういう消費が正義だと思わせるため、自らも旺盛な消費を繰り返していく。そしてそういう流れが、一般消費者も飲み込んでゆく・・・。


もちろんここを読んで下さってる皆さんは、この流れからは脱した人たちですが、対岸から眺めていると、まだまだその流れに揉まれてる方は多い。いや、そういう人たちがほぼ大多数だと思います。


自分の場合は早々に会社組織で躓き、そんな野望を持つには至りませんでしたが、それでも若い頃はまだそういった類の欲望はありました。ですがこういう視点で世の中を眺めると、殆どの物事が『お金を使わせる』という観点で動いてる、ということがわかります。


もしこの社会で生きていて、節約できないとか、浪費癖が治らない、ということがあったら、『このクソみたいな社会がお金を使わせようとしてる』という風に想像してみて下さい。言ってみれば『お金を使わないことは自分をボロクズのように扱った社会への復讐』ということです。

会社にはロクなヤツがいない

curios

まず私の人生における大前提ともいえるスローガンを書きましょう。


『会社にはロクなヤツがいない』


です。これは真実です。
いや、なかにはいい人もいると仰る方もいるでしょう。はい、確かにいい人も居ます。ですがその「数」は圧倒的にすくなく、ロクでもないヤツの数からすればまさに『焼け石に水』状態なんです。
昔、社会の勉強で、『悪貨は良貨を駆逐する』という言葉を習いました。これは市場原理の法則性のようなものを表した言葉で、単純に悪いものがいいものを追い払う、という意味だけではないらしいのですが、こと会社組織内に至っては、そういう単純な意味だけで充分通用する言葉です。


悪いヤツ。私の頭の中では幾らでも浮かびます。人をコケにするヤツ。人を恫喝するヤツ。人が傷付くのを見て喜ぶヤツ。人にたかろうとするヤツ。本当に、会社組織というのは、法律に触れない程度の、ゴロツキ・犯罪予備軍の一大展示会のように思えます。


ではなぜ会社というのはそんな横行が許される場所なのでしょうか。それは、会社というのが一種の競技場であるからです。競争原理に従って、ほかの人より優れた成果を上げれば自分の会社内での地位も上がっていく。ひいてはその会社の株も上がっていく。これは競争社会にあっては極めて健全な状態です。


ですがその他人と競い合うことを、健全な方法で行うというルールを遵守していない人間がいます。つまり、純粋な成果で競い合うということよりも、その人の足を引っ張る、あるいはその人の人格や態度を攻撃する。そういうことで優位に立とうとしている人間です。


そしてそういう人間は、なぜか職場の評価がそれなりにあるんです。バイタリティがあるとか、ガッツがあるとか。これはまさに『悪貨が良貨を駆逐する』の体現でしょう。


恐らく、この社会においては、綺麗事だけではやっていけない、というのは事実です。私だってそんな赤ん坊のような幻想は抱いていません。ですが真面目に働こうとしている、或いは社会の良識のようなものを守って生きていこうとしている人間の出鼻を挫くような真似をしてはいけないと思います。


私は、最初に入った会社から、そのような行為のオンパレードでした。そしてそれが嫌で会社を変わり、そしてそのような行為がおそらくは会社というものの本質なんだろうなとわかるまで、幾つもの会社を渡り歩いてきました。社会的に見れば私は骨のない奴という見方が一般的だと思います。


ですがこの世界の本質が、『ルール無用金網デスマッチ』みたいなものだと、誰が教えてくれたでしょうか?誰も教えてくれませんでした。そして私は傷付き、本当に、この世を恨んでました。


そして先日、なにかの雑誌でFIREという言葉を知ったのです。これだと思いました。
今度はこちらが仕掛ける番です。

初めまして

curios

初めまして。最近セミリタイヤに向けての活動を始めたcuriosと申します。
性別は男で年齢は53歳。高卒で就職をして社会人となりましたので、もう35年社会人生活をしていることになります。
もちろん順風満帆というわけではなく、自分の辿ってきた職歴を振り返るのも憂鬱になるほど退職・再就職を繰り返して来ました。主な原因は職場の人間関係です。
いま現在も会社に勤めているのですが、やはり人間関係が嫌で嫌でしょうがありません。自分の心の問題、という点もあるのでしょうが、会社組織というのはどうやら犯罪にまで
至らない程度の攻撃性が許される環境のようです(とすくなくとも私は認識しています)。
そのような状況下で、なんとかここまでやって来て、ある日雑誌でFIREという言葉を知りました。そしてそれがこれからの自分の指標になることを直感しました。
ここは自分が引退すると決めた55歳までにFIREの地盤を固める過程と、いままでの会社員生活の日々の恨みを書き連ねていくこと、そして同じような境遇でもがき苦しんでる人の共感を得ることの出来るような場にしていくつもりです。


よろしくお付き合い下さい。


curios