会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

FIREは自分にとっての救いの思想・其の一

curios

こんにちは、curiosです。


私が『FIRE』という言葉を知ったのは、今年(2021年)になってからです。それまでは投資もそんなに熱心ではありませんでした。投資なんて、資金が潤沢にあって、恵まれている一部の人がやるものだ、そんな風に思っていました。


自分のそれまで思い描いていた将来設計は、この地獄のような会社員生活を、取り敢えず60歳まで続け、定年後はスパッと辞め、後は自分の好きなことだけをして生きる、というものでした。本当にしんどいですが、まあ考えようによっては7~8年なんてあっという間です。それからは、いままで苦労してきた分を取り返してやる、という気持ちでいました。


ですが先日、信用金庫の係の人が来て、定期積立の更新をして欲しい、ということで、その手続きをし、ついでにいままでの残高を確認したところ、思わぬ金額になっているのに気付きました。


金額的には、月2万円の積み立てなので、ビックリするほど、というわけではないのですが、年月が経つというのはやはりそれなりのことなんだな、と思わされました。


そして、その金額を目にしたとき、ひょっとして自分の預金の総額は幾らなんだろう?という興味が沸きました。それまでは幾つかの口座に大体で幾ら、という感じでしか把握していなかったのですが、一度まとめてみようと思い、普通預金から定期預金、そして先述の積み立てをまとめてみることにしました。すると・・・。


なんと、大台を超えていたのです。


この大台というのが幾らになるのかは、ご想像にお任せしたいと思います。大体、一般の人が思い描く数字だと思います。もちろん、セミリタイヤ投資系のブロガーからすれば、一笑に付される程度かも知れませんが、私にとっては一つの驚きでした。


それから、私の中でスイッチが入りました。このお金をなにか有効に活用出来ないだろうか。まず投資という選択肢が浮かびました。本屋に行き、よくそういった類の本が置いてあるコーナーに行き、パラパラと読んで行きます。すると、なにやら『FIRE』という言葉が目に付く。


読んで行くうち、まるで自分の前に立ち込めていた暗雲が、スーッと晴れていくのを感じました。これだ、と思いました(其の二へ)。

日本は奴隷を持って任じている人が大多数

curios

こんにちは、curiosです。


はっきり言って私は怠け者です。自分でもその自覚があります。休日はどちらかと言えば好きなことをしていたいし、仕事だって、なんでそんなことまでやらなきゃいけないの?といつも心のなかで自問しています。だって貰える給料は同じじゃん、と。


ですが周りを見ると、ずいぶんあくせく身の回りの整理をしたり、汗水たらして働いている人がいます。日本人は勤勉というが、こういう人たちを見ると、その理由がわかりますね。


ですが私はその姿に違和感を覚えます。『まるで他の人に見せつけるように、あくせくと働き続けているんじゃないか?』


なんというか、日本人は、周りの人にどう見られるか、ということをもの凄く意識しますよね、体裁を重んじるというか。家の周りを小綺麗にして、お隣の〇〇さんより幸せな家庭を築いてるアピールをしなくちゃ、とか。仕事でも、俺は一分一秒たりとも無駄にしていないぜ。あのボーッとしてる〇〇より、有能な人材ということをアピールしなければ、とか。


でもそれって、奴隷への第一歩だと思うんです。


私は、身近な所に奴隷がいるから知っています。奴隷というのは『なんのポリシーや目的もなく、自ら進んでその労役に身を投じる人間』です。その行為をなんの為にやるのか、それをやることによって自分のなかでなにか有益な事象が発生するか、そういう問いかけを、一切無視しています。


そして、会社にとってもその方が都合がいい。だってひとつひとつの行為に、いちいちそんなことを考えていたら、『作業が進まない』からです。多くの人がやっているから、取り敢えずやっておこう。その方が無難だ。そういう言わば『思考の放棄』が、現在の日本を作り上げている。


私は、最初のご挨拶でもお話しした通り、会社に入った当初から、酷い目に遭いました。どちらかといえば、なぜ自分は存在しているんだろう、というようなことを考えてる『文系』志向でしたので、そんなこと知ったこっちゃないぜ、とにかく手を動かせ、と『奴隷を持って任じてる輩』が大多数の職場から、洗礼を受けました。ですが当時は、若かったので、そうか、会社というものはこういうものなんだ、ここに適応していかなくちゃ、と思い、なんとかそれに付いて行こうという努力をしました。


ですが、何十年経っても一向に馴染むことの出来ない自分に、待てよ、悪いのはこちらなんじゃなく、あちら側なんじゃないのか?という疑念が生じてきました。そしてその思いは年ごとに大きくなり、いま現在は確信となって自分のなかに存在しています。


日本は奴隷を持って任じている人が大多数』。これは事実です。そして私のような人間は、その性向が強い人にとっては攻撃の対象となるようです。きっと見ていて自分たちの意にそぐわないという何かを感じるんでしょうね。


私がそこから脱するのが早いか、日本がオワコンになるのが早いか、ちょっと見ものです(今ではそんな心の余裕が出てきました)。

【巨悪】半沢直樹は何処にいる?【銀行】

curios

どうも、curiosです。


ここでは自分の思ったことをストレートに記事にするというのをモットーにしていますので、臆せず書いて行きたいと思います。


社会生活を送る人にとって、切っても切り離せないのが銀行です。給与の口座振り込み、公共料金の口座引き落とし、ATMでの現金引き出し、また人生最大の買い物とされる住宅の購入、そのローン組み立て、など。


銀行は一見すると、社会人の健全な生活をバックパアップしてくれているように見えます。またその人の人生の節目節目の大きな買い物(住宅ローンや結婚資金の調達)に、大きな役割を果たしています。確かに、住宅などを購入するときに、何処かの貸金業者からすべてお金を借りるとなると、破産してしまうかも知れません。長期の低金利で貸し出してくれる銀行だからこそ、返済の予定が立てられるのです。


ですが、私はひとつのエピソードから、銀行は『悪』だと確信しています。それは、私が家を建て直す時のエピソードになります。


当時、我が家は借地の上に家を建てて住んでいました。もうかなり老朽化していたので、道路拡幅の際に建て直すか、ということになりました。


ですが、当時の地主さんが、家を建て直すなら、土地を買い取って貰わないと認められない、ということになり、土地を購入する資金と家を建て直す資金の両方が必要になってしまいました。幸い、親と同居していましたので、土地の方は、親の退職金を使って購入することが出来ました。家の方は自分が返すということになり、住宅ローンを組むことになりました。


メインで使っている地元の銀行へ出向き、住宅ローンの相談をしました。担当の人は、なんだか持って回ったような言い方で、ご利用の相談ありがとうございます、とは言ったものの、


『失礼ですが、職歴の方は・・・』と張り付いたような笑顔で、自分の職歴が書かれた書類を取り出しました。それは、厚生年金支払いの記録から、どの会社に就職して、どのくらい転職したか、ということが克明にわかるものでした。その表情は笑顔を保っていたものの、自分のような一つ所に勤められない人間に、住宅ローンを提供していいものか、と戸惑っているような顔でした。


自分は恥ずかしさで目頭が熱くなりましたが、住宅ローンなしには家を建てることは出来ないのは明白でしたので、ひたすら頭を下げ、なんとかローンの契約を取り付けました。ですが自分の不甲斐なさに自分を呪いました。もうすこし踏ん張っておけばよかったと。


でも後からその時のローン担当の、ある意味残酷ともいえる仕打ちに、次第に怒りがこみ上げてきました。銀行なんて、安全と思えるような大企業や、大口の顧客には喜んでお金を貸すのに、財力のない中小企業経営者や、自分のような職の定まらない人間には貸し渋る。その姿は、自分たちは安全な所から高見の見物をして、社会の底辺でもがき苦しむ人間を嗤うような、そんな存在のように見えました。まるで高い塔から民衆の苦しむ姿を見て喜ぶ悪魔のように・・・。


もちろんこれは偏見です。ですが自分だってただ手をこまねいていたわけじゃない。自分なりに、努力し、頑張って来た末の結果なわけです。もしかしたらただ弱かっただけなのかも知れない。ですが、その過程だってすこしは考慮してくれてもいいんじゃないか?


そんな思いから、銀行は『悪』というのが自分のなかでの揺るぎない信念となりました。だから自分はATMでも絶対に手数料は払わない、と決めています。こんな巨悪に一円たりとも余分な金は払わないぞ、という決意を込めて。