会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

【巨悪】半沢直樹は何処にいる?【銀行】

どうも、curiosです。


ここでは自分の思ったことをストレートに記事にするというのをモットーにしていますので、臆せず書いて行きたいと思います。


社会生活を送る人にとって、切っても切り離せないのが銀行です。給与の口座振り込み、公共料金の口座引き落とし、ATMでの現金引き出し、また人生最大の買い物とされる住宅の購入、そのローン組み立て、など。


銀行は一見すると、社会人の健全な生活をバックパアップしてくれているように見えます。またその人の人生の節目節目の大きな買い物(住宅ローンや結婚資金の調達)に、大きな役割を果たしています。確かに、住宅などを購入するときに、何処かの貸金業者からすべてお金を借りるとなると、破産してしまうかも知れません。長期の低金利で貸し出してくれる銀行だからこそ、返済の予定が立てられるのです。


ですが、私はひとつのエピソードから、銀行は『悪』だと確信しています。それは、私が家を建て直す時のエピソードになります。


当時、我が家は借地の上に家を建てて住んでいました。もうかなり老朽化していたので、道路拡幅の際に建て直すか、ということになりました。


ですが、当時の地主さんが、家を建て直すなら、土地を買い取って貰わないと認められない、ということになり、土地を購入する資金と家を建て直す資金の両方が必要になってしまいました。幸い、親と同居していましたので、土地の方は、親の退職金を使って購入することが出来ました。家の方は自分が返すということになり、住宅ローンを組むことになりました。


メインで使っている地元の銀行へ出向き、住宅ローンの相談をしました。担当の人は、なんだか持って回ったような言い方で、ご利用の相談ありがとうございます、とは言ったものの、


『失礼ですが、職歴の方は・・・』と張り付いたような笑顔で、自分の職歴が書かれた書類を取り出しました。それは、厚生年金支払いの記録から、どの会社に就職して、どのくらい転職したか、ということが克明にわかるものでした。その表情は笑顔を保っていたものの、自分のような一つ所に勤められない人間に、住宅ローンを提供していいものか、と戸惑っているような顔でした。


自分は恥ずかしさで目頭が熱くなりましたが、住宅ローンなしには家を建てることは出来ないのは明白でしたので、ひたすら頭を下げ、なんとかローンの契約を取り付けました。ですが自分の不甲斐なさに自分を呪いました。もうすこし踏ん張っておけばよかったと。


でも後からその時のローン担当の、ある意味残酷ともいえる仕打ちに、次第に怒りがこみ上げてきました。銀行なんて、安全と思えるような大企業や、大口の顧客には喜んでお金を貸すのに、財力のない中小企業経営者や、自分のような職の定まらない人間には貸し渋る。その姿は、自分たちは安全な所から高見の見物をして、社会の底辺でもがき苦しむ人間を嗤うような、そんな存在のように見えました。まるで高い塔から民衆の苦しむ姿を見て喜ぶ悪魔のように・・・。


もちろんこれは偏見です。ですが自分だってただ手をこまねいていたわけじゃない。自分なりに、努力し、頑張って来た末の結果なわけです。もしかしたらただ弱かっただけなのかも知れない。ですが、その過程だってすこしは考慮してくれてもいいんじゃないか?


そんな思いから、銀行は『悪』というのが自分のなかでの揺るぎない信念となりました。だから自分はATMでも絶対に手数料は払わない、と決めています。こんな巨悪に一円たりとも余分な金は払わないぞ、という決意を込めて。

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