会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

日本は奴隷を持って任じている人が大多数

こんにちは、curiosです。


はっきり言って私は怠け者です。自分でもその自覚があります。休日はどちらかと言えば好きなことをしていたいし、仕事だって、なんでそんなことまでやらなきゃいけないの?といつも心のなかで自問しています。だって貰える給料は同じじゃん、と。


ですが周りを見ると、ずいぶんあくせく身の回りの整理をしたり、汗水たらして働いている人がいます。日本人は勤勉というが、こういう人たちを見ると、その理由がわかりますね。


ですが私はその姿に違和感を覚えます。『まるで他の人に見せつけるように、あくせくと働き続けているんじゃないか?』


なんというか、日本人は、周りの人にどう見られるか、ということをもの凄く意識しますよね、体裁を重んじるというか。家の周りを小綺麗にして、お隣の〇〇さんより幸せな家庭を築いてるアピールをしなくちゃ、とか。仕事でも、俺は一分一秒たりとも無駄にしていないぜ。あのボーッとしてる〇〇より、有能な人材ということをアピールしなければ、とか。


でもそれって、奴隷への第一歩だと思うんです。


私は、身近な所に奴隷がいるから知っています。奴隷というのは『なんのポリシーや目的もなく、自ら進んでその労役に身を投じる人間』です。その行為をなんの為にやるのか、それをやることによって自分のなかでなにか有益な事象が発生するか、そういう問いかけを、一切無視しています。


そして、会社にとってもその方が都合がいい。だってひとつひとつの行為に、いちいちそんなことを考えていたら、『作業が進まない』からです。多くの人がやっているから、取り敢えずやっておこう。その方が無難だ。そういう言わば『思考の放棄』が、現在の日本を作り上げている。


私は、最初のご挨拶でもお話しした通り、会社に入った当初から、酷い目に遭いました。どちらかといえば、なぜ自分は存在しているんだろう、というようなことを考えてる『文系』志向でしたので、そんなこと知ったこっちゃないぜ、とにかく手を動かせ、と『奴隷を持って任じてる輩』が大多数の職場から、洗礼を受けました。ですが当時は、若かったので、そうか、会社というものはこういうものなんだ、ここに適応していかなくちゃ、と思い、なんとかそれに付いて行こうという努力をしました。


ですが、何十年経っても一向に馴染むことの出来ない自分に、待てよ、悪いのはこちらなんじゃなく、あちら側なんじゃないのか?という疑念が生じてきました。そしてその思いは年ごとに大きくなり、いま現在は確信となって自分のなかに存在しています。


日本は奴隷を持って任じている人が大多数』。これは事実です。そして私のような人間は、その性向が強い人にとっては攻撃の対象となるようです。きっと見ていて自分たちの意にそぐわないという何かを感じるんでしょうね。


私がそこから脱するのが早いか、日本がオワコンになるのが早いか、ちょっと見ものです(今ではそんな心の余裕が出てきました)。

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