会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

ラクに生きて何が悪い?

curios

こんにちは、curiosです。


さて、この日本という社会においては、勤勉であるということがなにより美徳とされます。会社においても、まず仕事のことを考え、皆なで一丸となって取り組んで行く。個人の思想や思惑などは取り敢えず脇に置いておく。


昭和の終わりま頃では、この考えが機能していたと思います。日本がグングン豊かになって、誰もがその恩恵を享受していた。社会にも希望が溢れていた、と思います。本当に、働いていさえすれば、幸せな将来設計を描くことが出来た。


平成の中盤から、すこし社会の雲行きが怪しくなってきました。バブルがはじけたこともあって、経済にやや陰りが見え始めて来た。でもそれまでの余力のようなものがまだあった。社会は物で溢れ、TV番組もいまのようなスカスカではなかった。この頃が豊かさと言う面では一番だったと思います。


それと同時に、一人ひとりの考え方に、幅というものが出て来た。『ゆとり』という言葉が出て来たのも、この頃です。またそれと同時に『ひきこもり』という問題も出て来た。食べるものや生活に困らなければ、楽をして生きたいという人は必ずいます。


私の考えも、どちらかというとここに近い。なぜこんな高度な文明を手に入れたのに、人はあくせく働き続け、過酷な業務をこなさなければいけないのか?これはずっと思ってきたことでした。


日本という国は、国全体が、ひとつの巨大な企業体のように思えます。怠けたりしていると、たちまち叱責を受けてしまう。皆なが日本という会社の、従業員であると同時に他の人を見張る監視員なのです。


ですがまだ社会が希望に満ち溢れていた時代だったらそのような叱責も耐えられるでしょう。その叱責に見合うだけの対価(給料)を貰えたのですから。ですが今の日本は『派遣労働』という形で実質的な賃下げをされてしまった。その中で、罵倒や叱責をされながら働く、そのことに疑問を抱くのは至極当然だと思います。


いま勤めている会社にも、そのような空気はあります。まるで自分が給料を払ってるんだ、とでもいうような口振りでものを言って来る人間。ちょっとでも怠けたら、すぐさま叱責する、或いは上層部に密告する人間。


私は、本当に愚かだと思います。何故自分の首を自分で絞めるような真似をするのか。給与労働者という点では皆同じです。すこしでも、労働者側に優位になるように、皆で団結して立ち向かって行かなければならないのではないか?貰える対価が少ないのなら、そのことに対して声を上げるべきで、決して同志を槍玉に挙げるために上げるべきではない。


恐らく、皆な余裕がなくなって来ているんだと思います。日々の生活をこなす程度の稼ぎしか貰えなく、将来への希望もない。いまちょうどTVで木下富美子都議のニュースをやってるのですが、こういうポカをやってしまった人達へのバッシングも、未来へ希望が持てなくなってきていることへの証拠だと思います。マスコミも、自分たちのしでかした不始末には寛容なくせに、制裁を振りかざしやすい対象には容赦がありません。


話を元に戻しますが、恐らく私の会社も、余裕のない人たちが多数派だと思います。そのなかで、他人の仕事を監視し、監視され、まるで奴隷のように日々を生きている。私も一応はその『フリ』をしていますが、もう私は着々とそこから『離脱する』準備を進めているのです。


ラクに生きて何が悪い?』という問いかけを、常に胸のうちに繰り返しながら。

女をあきらめればお金は必要なくなる

curios

どうも、curiosです。


のっけからなんてタイトルだと思われるかも知れませんが、これも真実です。私が、身を持って実感したことをお話しします。


私は、どうも性欲が強い方で、思春期の頃からそういう悶々とした性の悩みを持ち続けていました。またそれと同時に内向的な性格で、学生時代はまともに女性と交際などしたことがなかったと思います。すこし病んでいたんです。


だから社会人になって、女性と付き合える時が来る、その瞬間を心待ちにしていました。社会人になれば、みんなそういう出会いの場を持って、自分に合ったパートナーを探すようになります。私が若い頃は、スキーなどで男女が出会う、というのが定番でした。恐らく映画の影響が強かったんだと思います。


長野なんかにも、何度か行きました。大体は男友達とでしたが、男女のグループで出掛けたこともありました。やはりその時にパートナーになったカップルも居ました。私は・・・、なんででしょうね~、縁がありませんでした。自分なりに頑張ったんですが。


ですが自分もまだ若かったので、そんなもんさ、と次に向かいました。当時はまだバブルの余韻を引き摺っていたので、社会全体がざわついていました。そして男女とも理想が高かった。いいクルマに乗って、そしてデートをして、おしゃれなスポット、というのがお決まりでした。


『三高』という言葉が流行ったのもこの頃です。すなわち高学歴、高身長、高収入というのが、女性が求める結婚条件というものでした。今から考えると無茶振り過ぎますよね。


私はそのどれにも当てはまりませんでした。おまけに若い頃から私の頭髪はすこしキテいた。コンプレックスになっていました。


その後女性とは付き合えるようにはなったのですが、生来の慎重気質が災いしてか、思うように進みませんでした。その女性も、なかなか先に進んでくれる気配がなかった。


結局、結婚など大それたことを言うまでもなく、別れてしまいました。


さて、私は先ほど言ったように見た目のコンプレックスを抱えていた。また性格的にも快活とは言えなかった。そして会社も幾つか変わり、自分の将来性をアピールすることも出来なかった。自ずと、異性への思いは冷めていきました。


そして、もう自分が恐らく異性と関わり合う機会がやって来ないだろうな、という年齢になった時、悟ったのです。「もしかしたら、異性に対する執着を捨てれば、お金は必要なくなるのではないか?」と。


残酷なようですが、これも真実です。何故なら異性にモテたいがために、いいクルマに乗ろうとする。服も揃えて、身だしなみも整える。デートの前の日に、行くべきスポットを調べ、お店を予約する。すべてはモテたい、気に入られたいという一心のために。


幸か不幸か、私には物事を深く考えるという気質があった。女性と付き合いたいという本能はあったが、それ以前になんで自分はこんながんじがらめの人生を歩む羽目になってしまったんだろう?ということをずっと考えてきました。会社という組織に打ちのめされ、それでも家庭を持つ価値はあるのか?と。


そして、『女をあきらめればお金は必要なくなる』という結論に辿り着いたとき、フッと心が軽くなりました。勿論これは生命体としては「詰んだ」状態です。ですが一人の男性が嘆き、苦しんで得たひとつの結論でもあるのです。


会社という組織に絶望し、FIREという希望の光を見つけそれに向かって邁進する。その為にはいろんなものを断捨離しなくてはなりません。女性に見切りを付ける(偉そうですが)のも、残酷なようですがそのひとつなのです。

社会はお金を使わせるように出来ている

curios

こんにちは、curiosです。


さて、前回の記事と重複しますが、ここは念入りにもう一回書いて置きたいと思います。


社会はお金を使わせるように出来ている


皆さんはコンビニはよく使いますか?その手軽さから、ついつい使ってしまいますよね。私も会社帰りに、今日はなにをつまみにしようか、などと思いながら、コンビニならではのメニューを選ぶのは楽しみです。コンビニのお惣菜や麺類は、流行をうまく取り入れたり、有名店とのコラボもしたりと、いちばん力を入れてる分野かと思います。実際、私もなかなかその魅力に抗えません。


ですがコンビニの怖いところは、その魅力をうまく使って、他の商品にまで手を出させようとするところです。


コンビニに入って、まずはメインの惣菜類を買って、あとは食後の飲み物でも買おうかな、などと思いながら正面奥の棚に向かいます。でもその中間地点に、美味しそうなデザートやお菓子が陳列されている。そうそう、このデザート、前に美味しいって話題になってたやつだよな、一回味見してみよう、とその結構な値段の付いてる一品をカゴに入れます。そして飲み物も買って、いざレジに並ぼうとしたとき、脇には地域限定のカップ麺や人気アニメのコラボ商品が山積みされている。


これはゲットして置かないと、とまんまと作戦に引っ掛かり、レジを終わると千数百円というレシートが手の中に握られている。コンビニ商品というのはすべて単価が高いのです。


コンビニというのは何故か知らないけど居心地がいい。仕事帰りに近くのスーパーへ寄るより、コンビニに寄りたくなるのは確かなのです。ですがここが踏ん張り所です。魅力的な商品や華やかな飾り付けが目を引くコンビニより、実直な品揃えとお徳用サイズの揃ったスーパーへ駆け付けましょう。レジの人はすこしくたびれた佇まいですが、また店内はすこし薄暗いですが、不思議と社会から隔絶された人間をやさしく包んでくれる暖かさがあります。


自分のような、恐らく生涯独り身でやっていく人間にはスーパーはライフラインにもなることと思います。地域のためにも、また自分のためにも、なるべく地域のスーパーを活用するようにしましょう。


今回は論点がすこしズレてしまいましたが、スーパーを使うことは恐らくセミリタイヤの観点からも理に叶っていると思います。なにより物欲を最小限に抑えるには、余分なもの(人を引き付ける要素)のない品揃えのスーパーに行った方が得策だからです。必要最低限のものを、必要なだけ買う。商品に、派手なコラボや製品開発の費用の上乗せはされていません。


これこそが、資本主義に乗らない(お金を無駄にしない)堅実な選択ではないでしょうか。