会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

女をあきらめればお金は必要なくなる

どうも、curiosです。


のっけからなんてタイトルだと思われるかも知れませんが、これも真実です。私が、身を持って実感したことをお話しします。


私は、どうも性欲が強い方で、思春期の頃からそういう悶々とした性の悩みを持ち続けていました。またそれと同時に内向的な性格で、学生時代はまともに女性と交際などしたことがなかったと思います。すこし病んでいたんです。


だから社会人になって、女性と付き合える時が来る、その瞬間を心待ちにしていました。社会人になれば、みんなそういう出会いの場を持って、自分に合ったパートナーを探すようになります。私が若い頃は、スキーなどで男女が出会う、というのが定番でした。恐らく映画の影響が強かったんだと思います。


長野なんかにも、何度か行きました。大体は男友達とでしたが、男女のグループで出掛けたこともありました。やはりその時にパートナーになったカップルも居ました。私は・・・、なんででしょうね~、縁がありませんでした。自分なりに頑張ったんですが。


ですが自分もまだ若かったので、そんなもんさ、と次に向かいました。当時はまだバブルの余韻を引き摺っていたので、社会全体がざわついていました。そして男女とも理想が高かった。いいクルマに乗って、そしてデートをして、おしゃれなスポット、というのがお決まりでした。


『三高』という言葉が流行ったのもこの頃です。すなわち高学歴、高身長、高収入というのが、女性が求める結婚条件というものでした。今から考えると無茶振り過ぎますよね。


私はそのどれにも当てはまりませんでした。おまけに若い頃から私の頭髪はすこしキテいた。コンプレックスになっていました。


その後女性とは付き合えるようにはなったのですが、生来の慎重気質が災いしてか、思うように進みませんでした。その女性も、なかなか先に進んでくれる気配がなかった。


結局、結婚など大それたことを言うまでもなく、別れてしまいました。


さて、私は先ほど言ったように見た目のコンプレックスを抱えていた。また性格的にも快活とは言えなかった。そして会社も幾つか変わり、自分の将来性をアピールすることも出来なかった。自ずと、異性への思いは冷めていきました。


そして、もう自分が恐らく異性と関わり合う機会がやって来ないだろうな、という年齢になった時、悟ったのです。「もしかしたら、異性に対する執着を捨てれば、お金は必要なくなるのではないか?」と。


残酷なようですが、これも真実です。何故なら異性にモテたいがために、いいクルマに乗ろうとする。服も揃えて、身だしなみも整える。デートの前の日に、行くべきスポットを調べ、お店を予約する。すべてはモテたい、気に入られたいという一心のために。


幸か不幸か、私には物事を深く考えるという気質があった。女性と付き合いたいという本能はあったが、それ以前になんで自分はこんながんじがらめの人生を歩む羽目になってしまったんだろう?ということをずっと考えてきました。会社という組織に打ちのめされ、それでも家庭を持つ価値はあるのか?と。


そして、『女をあきらめればお金は必要なくなる』という結論に辿り着いたとき、フッと心が軽くなりました。勿論これは生命体としては「詰んだ」状態です。ですが一人の男性が嘆き、苦しんで得たひとつの結論でもあるのです。


会社という組織に絶望し、FIREという希望の光を見つけそれに向かって邁進する。その為にはいろんなものを断捨離しなくてはなりません。女性に見切りを付ける(偉そうですが)のも、残酷なようですがそのひとつなのです。

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