会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

久しぶりのソロキャンプ

今日は久しぶりにソロキャンプに来ました。




美味しいものを食べて、ハイボールでも飲もうという寸法です。




キャンプ場の犬が巡回中です。




今日の獲物です。お前はここまで(見切り品を)抉るのかと言われるかも知れませんが、好物なので許して下さいという他ありません。


なにしろハイボールが飲みたかった次第です。


他に人は見えませんので心おきなく楽しもうと思います。

フィトンチッド

山に行くと、空気のなかに身体にいい成分があるような気がします。


森林浴という言葉もありますし、自然の治癒能力が作用していることは確かだと思います。


その源は、樹木から出る『フィトンチッド』という成分で、木や植物が傷付けられたときに、身体から殺菌作用のある匂いを出して、植物自身を守る働きがあるのだそうです。


それが人間側にも作用して、身体を癒したりする効果があるということです。


試しにいまの時期の若葉を、指で摘まんで潰し、すこし齧ってみて下さい。


するとクールミントガムにも似た清涼感と、ピリッと来る苦味が広がると思います。


この苦味は、その植物の自己防衛反応から来る作用で、もちろんこれぐらいなら人間の方には害はありません。それどころか私が長いことこじらせている喉の違和感の、いまだ蔓延っているウイルスに対しての撃退効果もあったようです。違和感が大分引きました。


いまの時期の山は、新緑の季節ということもあって、そういった効果が通常の3割増しぐらいに感じられます。眼にもいいし(目に染みる新緑という言葉にもあるように)、いいことだらけなのです。


このような自然のヒーリング作用を、使わない手はありません。

身体を大事にすること

私はいまのところ持病らしきものは、高脂血症気味なところだけです。


また尿酸値も上限にちかく、時折痛風が出るときがあります。


でも治療が必要な病には罹っておらず、それはありがたいと思っています。


糖尿病になると、糖質制限や、日々の散歩、重度になるとインスリン注射など、実に厄介です。


また糖尿病になると、合併症として、失明、脚部の壊疽、心不全、脳梗塞、インポテンツなど、ありとあらゆる重度の疾病が付いて回ります。これだけ恐ろしい病もほかにないんじゃないかと思います。


また、癌もこわいですね。日本人の死因の第1位だそうです。


癌の延命治療は、苦しいとよく聞きます。抗がん剤は副作用がキツく、全身の毛が抜け落ちたり、体力が衰えて、みるみる痩せて行きます。またその苦しみから逃れるためのモルヒネ投与で、意識も朦朧としていきます。私がもしその立場になったら、延命治療はやめて、出来るだけ苦しまない最期にしてもらうだろうと思います。


さて、私はいまのところそれらの病気に罹っていません。それは幸いだと思っています。がん保険も在職中に加入していましたが、退職時に解約しました。


また身体をなるべく使うということは意識しており、趣味もそのようなものを選んでいます。


ですが最近よく聞くニュースのひとつとして、未婚男性の平均寿命が67歳と、驚くほど低い、ということです。


これは看過出来ない現象です。なぜなら私もその未婚男性として、生涯を終える可能性が極めて高いからです。


なぜ未婚男性の寿命が短いのか?


食生活、生活態度、未来に希望が見出せない、など、様々な理由は考えられます。


ですが私はいちばんの理由として、男性自身がどこかの時点で、オスとしての役割を終えた、と認識することではないかと思っています。


オスの役割というのはもちろん自分の遺伝子を残すことです。メスを見つけ、受け入れて貰い、自分の遺伝子をそこに残すこと。これこそが、オスの使命として組み込まれたプログラムだと思います。


男というのは見かけは強いですが、実は芯は弱いです。その弱さは自分の遺伝子が子供に引き継がれた、と認識した時点で補強され、子供が成長して行くまでそれは維持され続けます。


また子供が一人立ちした後でも、自分の遺伝子を残したという満足感から、それは生命力となってその人にいい作用をもたらすでしょう。


対して未婚の独身男性は、子供を残すことが出来なかったという事実が、まず社会的にのしかかります。


そしていまは子供を持つことが難しい、という理由を後付けするのですが、それとは別に生き物としてのオスである自分自身に、圧倒的な事実が突き付けられます。


『遺伝子を残すというオスの使命を、果たすことが出来なかった。よって俺はオスとしての役割を終えたのだ』


という事実です。


これはカッコ悪いとか、みっともないなんて次元を超えた、その人の存在にダイレクトに響いて来るものです。動物が、その寿命を終えるのとおなじように、その人のなかで、なにかが終わってしまうのです。


もちろん人間は動物と違い、生きる目的が無くなっても生命維持活動をすることは出来ます。ですがその人自身のなかにあるスイッチが、強制的に入ってしまうのです。そうなったら、もう幾ら生きるのに不自由なくても、その活動は終わりに向かってしまう、ということなのではないでしょうか?


と、ここまで話して来て、なんか自分をどんどん追い込んでしまっているということに気付かされましたが、ともかく、オスとしての使命を終えたと実感したら、男性はその活力を失う、ということで、この現象は説明が付くんじゃないかと思います。


自分に出来ることは、身体をなるべく動かして、その時期を出来るだけ遠ざけるということです。


未婚の男性諸氏、希望を持って(絶望せず)身体を大事にして行きましょう。