会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

大晦日のイベント

こんにちは、curiosです。


早いもので今年ももう終わりです。10月から始めたこのブログにご来場して頂いた皆さま、本当にありがとうございました。そして来年もまたよろしくお願いします。


私は今日と元日の二日間だけ休みで、後は仕事となります。会社がサービス業的な業種なので、まとまった休みが取れないんです。だから年末年始や夏季休暇などの大型連休に、三泊四日で海外旅行に行く、なんてのは夢のまた夢です。旅行に行けたとしても近場で、温泉旅行というのがオチです。


でも考えようによっては、無駄なお金を使う機会がなくなるので、蓄財に向けてはいい方向に働くということかも知れません。何事もプラスに考えるように(これからは)して行きたいと思います。


さて、本日は、男の掃除場と言われる、トイレや洗面所、お風呂場の大掃除をして来ました。やはり毎日使う場所なので、一年に一回は徹底的な汚れ落としをしたいところです。


よく年末の大掃除をなんでやるのか、という人がいます。ただでさえ忙しない年末の、しかも寒さが一段と厳しくなる時期に、わざわざ掃除をやる必要がないじゃないか、というものです。その理由はよくわかります。


ただ私は前に新聞のコラムで、ある記事を読み、それで感心しました。その内容はこういうものです。


家というのは様々な「気」が集まる場所で、良い気も集まれば、悪い気も集まると言われている。そして年末というのは、悪い気が集まりやすい。よく鬼が来る、という表現があるように、借金の取り立てや、いわれのないお金の催促など、どちらかと言えばネガティブな存在が訪れやすいロケーションになる。そういう存在は、社会の中に巣食う鬼のようなものだ。


その邪気を追い払うために、ある程度は気を張っていなければならない。そして家を磨くということは、その邪気を追い払うための、言わば『結界』を張ると同じことだ、という意見です。


これに私は、ムムッ、と唸らされました。確かに住む家を、寒いなか身体を動かして掃除するのは大変です。ですがその身体を動かす、つまりやる気を絞り出すということが、言わば家に結界を張っているのと同じことなのです。家族全体で、家の窓を拭いたり、床を磨いたり、そうして邪悪な存在を、寄せ付けない心を作っていく。


この話を知ってから、私は大掃除が苦でなくなりました。


また、セミリタイヤ系の資産を守るという意識を持つブロガーの方々にも、心に響く内容なんじゃないでしょうか。


それではよいお年を。

×

非ログインユーザーとして返信する