会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

年末の雑言

こんにちは。


今年も終わりですね。


いつもある程度内容を考えて書くのですが、今日は頭に思い浮かんだことを断片的に買いてみようと思います。


人生は人によって恵まれいてたり、不遇だったり様々ですよね?その差というのは決して埋まりません。またなんで私だけ?なんて思ってもしょうがないです。だから明るく前向きに・・・、なんていうのは柄ではないのでそんなことは言うわけありません。


徹底的に、神を恨んでやりましょう。このクソみたいな世界を作った神を。それと同時に、自分を称えましょう。人によって恵まれたり恵まれなかったりのクソみたいな世界に於いて、それでもクサらずに生き続けている自分を。


正直にいって、私はまだ生きるということを手放しで称賛出来ません。しょうがないから生きているといった感じです。そんな人間には幸せもやって来ない、なんて言う宗教系セミナーの御方もいるでしょうが、『クソクラエ』、と言いたいです。


会社に対する思いも、基本的に変わりません。会社とは浄化されない魂の集まる場所であり、その意味では『修行の場』と言えなくもありません。ですがその実態は、法に触れない程度の悪行がまかり通る無法地帯です。


日本では会社に勤めているということがある種の社会認証になりますので、会社にさえ居れば、俗っぽい虚栄心を満たすことが出来ることもあるでしょう。ですがそれこそが自分の頭で考えるという作業を放棄していることであり、まんまと一億総活躍社会の(ひいては一億総死ぬまで働く社会の)思惑に乗っかっている、ということなのです。


いまの時代、働かないことの方が得をする、なんて言われます。賃金は上がらず、物価だけは上がり、とうとう長期金利も上昇し始めました。


物価の上昇はもちろんセミリタイヤ民には辛いですが、まだまだ飢え死にするというまでは行きません。この日本で飢え死にするということは、国がかなりの局面にあることを意味します。またセミリタイヤ民は、皆さん一円でも安く食費をあげようと日々奮闘しておられる方ばかりだと思います。この点に於いては、まだまだ心配には及ばないと思います。


セミリタイヤ民がこれから向かうべきは、国の制度を最大限利用して、生き延びてやるということだと思います。


そんなこんなで、あれこれととりとめのないことを書いてしまいましたが、また来年もよろしくお願いします。

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