会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

あの頃を忘れない

大晦日が近付いて来て、年末の空気が街にも漂って来ました。


毎年のことですが、なんとなく侘しい気分になってしまいます。


何がというわけではないのですが、日差しの傾き方に関連があるのかも知れません。午後になると途端に陰ってしまうので、そこはかとなくものの哀れを感じてしまうのでしょう。


私が子供の頃に住んでいた家はオンボロで、トイレの電灯がいわゆる裸電球でした。冬は日が短いので、夕方になればもう電灯を付けなければ暗くて用を足せませんでした。


敷き詰めたタイルは冷え冷えとしていて、トイレは北向きだったので尚更寒々しかったのを覚えています。そこで電灯を点けるのですが、裸電球のオレンジ色の光がその寒々しいトイレの雰囲気を僅かにですが暖かくしてくれました。また外に辛うじて見える夕暮れの色と調和していました。だからでしょうか、私はいまでもオレンジ色のライトに物凄くノスタルジーを感じてしまいます。


東名高速の、オレンジ色の外灯が並んでいるところを見ると、堪らなく郷愁をそそられます。新しく出来た区間などは、ほぼLEDの白色灯で、性能としてはこちらの方が優れているのでしょうが、情感に訴えかけるのは間違いなくオレンジ色の灯りです。


すべての物事が、効率や性能を第一として改修されます。裸電球や蛍光灯はLEDに、真空管は半導体に、昔からの商店街は大きなショッピングモールに、、と様々です。


ですが人の感性に訴えかけるものまでもが、効率や利益を第一に改修されてしまう。昔ながらの店が立ち並ぶ商店街など、絶対に人の心に必要なものまでも、ただ大きくて四角いだけのショッピングモールに取って変わられてしまう。これは文化にとっての死です。


一見非効率に見えるものにも、何かしらの存在理由があり、心の奥底にしまっている原風景のようなものと結び付いているものです。そしてそれはかけがえのないものです。そのことをわかっていない人があまりにも多過ぎます。


私はその重要性を絶対に忘れません。あの寒々しかったトイレでの情景が、胸に焼き付いているからです。

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