会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

嫌な事件が続く

ここのところ嫌な事件が続いていますが、年末の忙しなさもその傾向に拍車を掛けているんだろうなと思います。


お金の問題を抱えている人は、それに一応の区切りを付けなければいけませんし、この年末独特の雰囲気が、人を犯罪に駆り立てるのでしょう。


それにしても、犯罪を犯す連中の特徴が、ことごとく私のような、中年無職男性という括りになるのは、なんとも切ない所です。そういうニュースが流れてくる度に、「私はやってませんよ」、ともし現場に居たら間違いなく犯人扱いされそうな雰囲気を醸し出してしまっている自分が居たりします。


この中年無職男性というワードの持つやるせなさ、寂寥感といったものはいつ頃から出て来たのでしょう?これも恐らくバブルが弾けて世の中に無常感が漂って来た頃からのような気がします。オタクという概念が出て来たのも多分その頃ですよね?このオタクの持つ内側に向かう性向のようなものが変質者的なオーラを感じさせ、より中年無職男性という言葉に説得力を与えてしまった。そのように私は分析します。


また再三述べているように、マスコミの存在も無視出来ません。中年男性を、面白半分に揶揄するようなことばかり繰り返し、中年男性=キモい、臭い、暑苦しいなどというレッテルを、絶対的に貼り付けてしまった。


オヤジ臭などというものは、自分の健康をも犠牲にして、家族を養おうとしている偉大な家長の証しです。当のオヤジ共が自虐的に使うのなら構いませんが、本当に臭い存在として、マスコミがそれを使うというのなら、お前らの方が何倍も卑劣漢じゃないのか?、と糾弾してやりたい所です。


もう当のマスコミ自体が力を無くしつつあるのでどうでもいいですが、この中年無職男性という存在の持つ哀れさ、切なさみたいなものを、もっと追求して行くのも意味があるんじゃないか、と思います。社会学的な問題として。


その中年無職男性の渦中にいる私も、すこしでもその汚名を挽回して行けるようここで頑張って行きたいと思います。

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