会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

『盲人の寓話』

こんにちは。


私は当分働く気はないのですが、いま現在広告での人材募集はもの凄い数があります。


殆どが派遣またはパートなんですが、勢いがあるというか、よほど潤っているのでしょう。


正社員のものも探せばあるのですが、もう正社員はこれから勤めるとしても、やや現実的ではないと思っています。だから可能性としては、自分の体力に見合った時間給の仕事という感じですね。


ですが、私にはあの奴隷労働を続ける気は更々ないのです。だから新しい勤務先で、ちょっとでも小馬鹿にされたり、人格を否定されるような態度を取られたりしたら、


『職場的にすこし私の希望形態に沿わないものがあるみたいです』とでも言ってバックレてしまうと思います。前にも言ったように、今度は選ばれる側ではなく、『労働を選ぶ側になった』からです。


昨今の傾向として、セミリタイヤやFIREというムーヴメントが話題になったように、必ずしも会社という所で働くことばかりが選択肢ではない、ということに皆なが気付き始めて来たのは確かだと思います。それによって、以前からカツカツだった人材が、更にキツくなって来た、ということもあると思います。


でも、そのムーヴメントによって、絶望的に人手が足りなくなった、ということはあまり聞きません。多少の変動はあるものの、働いている人は健在です。


私はそれこそが、奴隷制の為せる技、だと思っています。奴隷は、世の中の趨勢なんかに左右されません。彼らは取り敢えず集団で動くということに重きを置くので、皆ながやっていることに右に倣えで追従します。


そして周りの人間もやっているからということであくせくと働き続け、この社会を間違った方向に捻じ曲げて行きます。それは夢のない社会です。


だから幾らセミリタイヤやFIREという考え方が世の中を席巻しても、彼らは動じないのです。


しばらくはこの社会は、そんなに大きな変動みたいなものはないまま推移して行くと思います。だから働き手が居なくなったらいまの生活が・・・、なんてことをセミリタイアーが心配することはありません。


彼らの姿をよく現した絵があります。ブリューゲルの、『盲人の寓話』です。



盲人によって、盲人が導かれ、その先の穴に落ちてしまいます。いまの社会の先行きを、よく現した絵のように感じます。


盲人≒奴隷にならないよう、しっかりと目を見開いて歩かなければなりません。

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