会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

ちっぽけな正義と巨大な欲望

こんにちは。


私がここで書く記事は、基本的に自分の考えが正しいという前提によって書かれています。


よって第三者から見れば「??」となったり、それはちょっと独りよがりの意見じゃないか、と思われることもあるでしょう(大いにありそうです)。


例えば以前勤めていた会社で大嫌いだった、人にたかろうとする同僚。こっちは将来の為に節制して、すこしでも安いものを買ったりして生活費を浮かしているのに、その努力を無にするような厚かましい行為です。


ですが、そいつにとってはそれが日常的に染み付いた行為なわけです。そうしてその行為の出所を辿って行くと、親がきっとそういう考え方だったと推測出来ます。他人のものであっても、そんなことはどうだっていい。取れるものはなんでも取って置け、そういう思想を幼少の頃から刷り込まれて来たのでしょう。


これは社会通念からすれば、決して許されないことです。ですがいまの世で、社会通念という言葉にどれほどの説得力があるのか。そう考えると、その親は世の中の変化を見越して先を読む力があったともいえると思います。


この社会は単純な善悪だけでは推し量れないというのはよく言われることです。幾ら正しいと思うことを主張しても、それが皆なの為にならないというなら、大方の人は支持しないことでしょう。逆にちょっと人道を外れていても、なにか世の中を変えるような力があれば、人はそれを受け入れてしまうものです。それが欲望というものです。


欲望、これが人の心を支配する最大の要因です。欲望の前には、ちっぽけな正義なんて、吹き飛んでしまいます。


そしてそういうことをわかっていた人間が、その時代の人々の心を読み、大きな支持を得たり、巨大な権力を手にしていたのです。


それが正しいことかどうかはわかりませんが、この社会の根本原則には違いないと思います。


こんな所でなまっちょろい正義感を振りかざしている人間よりも、多少の犯罪(?)を犯してでもこれからの時代に合いそうな信念を持っている人間の方が、人の心を掌握出来るかも知れません。

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