会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

セミリタイヤ適性を手っ取り早く調べるには

こんにちは。


セミリタイヤブログでも度々取り上げられる、『セミリタイヤしたはいいが、やることがなく手持無沙汰になってしまう』という問題については、大体予想はしていたものの、いざその時になると実感してしまう、ということでしょうね。


会社生活のストレスや、忙しなさから逃れたい、と思って目指したセミリタイヤという道ですが、いざその忙しなさから逃れると、想像以上に平穏で、刺激が無いことに気付き、そして社会から取り残されたような不安も芽生えてしまう。この『取り残され感』というのがなかなかキツイんじゃないかと思います。


この『取り残され感』、私も若い頃には感じていました。会社を辞め、ブラブラしていると、なんとなく社会から取り残されるんじゃないかという不安がありました。働くということで、その不安を打ち消したいと思ったりしましたね。まあ当時はいまより勤勉だった、ということなんでしょう(笑)。


ところでセミリタイヤ適性ですが、私はこうやって調べてみればいいんじゃないかと思っています。


平日の昼間に、クルマまたは他の移動手段で、街中を走ってみて下さい。平日は行楽のクルマはそんなに走っていないので、普段の街中の様子が見て取れると思います。これはセミリタイヤしたら嫌でも見ることになる光景です。なにかを運んでいるワゴンやトラック、現場へと向かう工事業者、定食屋には昼食を取りに来たサラリーマン、そして午後の日差しは容赦なく照り付け、個人の八百屋の軒先にある商品にダメージを与え続けています。


こんな光景に、ある種の悦楽を感じてしまう人、貴方は間違いなくセミリタイヤ向きです。このような日常の光景に、物語性のようなものを見出せるので、平凡な日常というのにまったく飽きるということがありません。逆に、こんな平凡な光景のなにが面白いんだ?と白んでしまうような人は、やはりセミリタイヤには向いていないと思われます。逆にそういう人は、ガンガン仕事をして社会参加することが向いていると思います。


事実、私はこのような光景を前にして、自然と口元が緩んでしまうのを抑えることが出来ませんでした。サラリーマンや工事業者の方々は不機嫌そうに午後からの仕事に向かい、気だるい日差しが軒先に照り付ける。これらの光景は私のためにある、とさえ思いました。


もう自分のなかで勤労意欲が無いのを、こういった光景に結び付けているのかも知れません。ですが昔から、私にはこういった黄昏的な光景に強烈に惹かれてしまう傾向がありました。だからそのようなものがある人は、間違いなくセミリタイヤは向いているように思います。


ひとつの指針として、参考にしてみて下さい。

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