会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

ノンビリ屋さんという評価

こんにちは、curiosです。


最近どうも会社の夢を見ることが多く、それに応じて数々の忌まわしい記憶も蘇って来ます。


いちばん腹が立ったのは、自分を『怠けている』と決め付けて接して来た上司でした。恐らく同僚から私がちょっとゆったり構えている、というのを聞きつけたのでしょう。昼食時に、


『〇〇はノンビリ屋さんらしいな』


なんてことをいきなり言って来るのです。コイツはなにを言ってるんだ?と思いました。


要は周りのスピードに合わせてやれ、と言いたかったのだと思いますが、それにしてもその言い方はないだろう、と思いました。


私は決してノンビリ屋さんでもソラ使いでもありません。そういうスピードでやれというなら、仕事前にそれに沿った内容伝達をすればいいだけのことでしょう。たかだか草刈り程度の仕事で、スピードを要求するということなら、ですが。


その上司の薄笑いと共に発せられた言葉と同時に、それをその上司に逐一報告する同僚の存在も、薄ら寒いものがありました。そいつはそうすることが、自分の手柄になるという短絡的な考えしか出来ない人間だったのです。すくなくとも、同じ側にいる弱い存在として、手を組んで行こうなんて殊勝な考えはこれっぽっちも無かった。会社側にいる人間(上司)にそれを密告することで、その結び付きに重点を置いて行くという生き方を選んだようです。


私は、呆れてしまいました。そんなことしたって、結局は損するだけだぞ、と。お互い疑心暗鬼になって、相手のヘマのようなものをチクり合うことが生きがいのようになってしまったら、それこそ会社側の思うツボじゃないか。昔の『隣組』のように、密告によってその秩序を守るという、悪政のようなものにまんまとハマってしまっているのです。


それと同時に、ここから抜け出すことも考えなければ、と思いました。サービス残業は当たり前で、有給の取得だってままならない。おまけに働いている人間の意識は大正末期に近い。こんなとこに居たら飼い殺されてしまう。


最後はその上司と衝突して休職となりましたが、未だに嫌な夢を見ます。またふとした瞬間に、侮辱されたことが思い出され、はらわたが煮えくり返ることもあります。実際、これが会社に勤めるということなら、私はもうその道は選ばないと思いますね。なにか自分で会社を興します。


幾人かの人が私に、もうちょっと辛抱しろ、なんて助言をくれましたが、そんなのは口先だけの助言でしかないというのも、私にはわかっていました。人それぞれ受けて来た傷というのは違いますし、どれだけの不遇を耐えて来たかなんて、想像も付かないでしょう。


人の言葉なんて、信じる義理はありません。自分の内側から発せられる言葉にこそ、耳を傾けるべきです。

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