会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

アタマのよい人たち

いままで会社生活をして来て、アタマのよい人に出会ったことは幾らでもあります。


ただ単にアタマのよい人というのなら、掃いて捨てるほどいましたね。


会社組織というのはそういった人たちの展示会ということも出来ると思います。


共同作業をしていて、あーでもない、こーでもないと討論をしているなかで、こういうのはどう?と他の人が思ってもいなかったやり方や、切り口を提案する。


そして周りの人が、オーッ、と感心して、その人のやり方を採用する。


これはまさに正の方向に働いたアタマのよさで、こういったアタマの使い方をする人には、周りの人も納得し、無条件に首を垂れることを厭わないと思います。


それとは別に、人の裏をかいたり、その人が嫌がるようなことを見つけ出して喜ぶような人、そういうことにアタマのよさを働かせる人、これはもう論外です。


そして残念ながら、私が会社生活で出逢ったアタマのよい人は、圧倒的に後者の方が多かったです。


なぜこのような人たちが多いかというと、本来、人間というのは、種族同士の殺戮に使うために脳を発達させて来たからです。もしくは自分だけ栄光を掴み取るために、周りの人を陥れることにすべての知能を注いで来たからです。


人間の知能の根源は、まさにここにあります。


だから人の役に立つとか、社会がよりよくなるようなシステムを構築するなんてことに関しては、


『なんでそんなバカバカしいことに自分の頭脳を使わなきゃいけないんだ?』


となるわけです。それよりかは、人をからかったり、陥れたりしてその苦しむ様を眺めている方がよっぽどいい、ということです。


これが人間本来の姿なわけですね。


それなら、なんでそういうことを最初から教えてくれないか?というと、最初からそんなことを教えてしまうと”カモ”が居なくなってしまうからです。


この社会はみんなが助け合って生きている、という前提にして置かないと、みんな疑心暗鬼になってしまって、そう簡単には騙されなくなってしまう。それでは騙す側の甲斐がなくなってしまいます。それと、流石にこれから社会に出る人間に、


『この世のなかは腹の探り合いですよ』


なんて教えてしまったら、あまりにもムゴ過ぎますよね。だからそのことには触れずに、


『みんなが助け合って生きているのが社会です。だから何事もみんなで協力して成し遂げて行きましょう』


とオブラートに包んで社会に送り出すのです。


ですが、本当にアタマがよくて、家もしっかりしている人たちは、その辺のところをキチンと教えています。


『お前には教えて置くが、この世のなかの大抵の人間はク〇だ。絶対に気を許すな。それと、絶対に出過ぎたマネはするな、出来るだけ波風を立てないよう、じっとしているんだ』


・・・私もそのような教えを乞うていたら、こんな無駄な堂々巡りをせずに済んだと思うのですが。

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