会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

古民家暮らし

こんにちは、curiosです。


私は現在静岡県のとある町に住んでいるのですが、行政のやり方にすこしの不満はあるものの、全体としてはまあまあだと思っています。


町の旧市街地は寂れているのですが、246バイパスに面した辺りはこれから発展して行きそうで、そのすぐ近くにある我が家の立地も、これからどんどん良くなりそうです。


まだ近くに大きなスーパーなどは無いのですが、これから新規参入してくると思います。やはり旧市街地のようなゴミゴミした場所より、広大な田園地帯の方が発展性はあると思います。


家はまだまだローンが残っているのですが、土地の値段が上がって来るようなら、何処か適当な物件を見つけて、ここは売ってしまうのも手かなと思っています。そうすればローンが無くなるのと同時に、かなりの戻りが入って来ますから。それを独り占めすることは出来ないので、肉親たちと財産分与して、自分は適当に、ただ同然の古民家のようなところに住めれば、と思っています。


古民家の生活、はっきり言って憧れます。土間があって、カマドに火を熾し、お釜で飯を炊き、簡単なおかずを作って食べる。そんなシンプルな暮らしぶり。


現代的な家に住んでいるとどうしても生活パターンもそれに引っ張られます。例えばIHヒーターが壊れたら代わりのものを買って来なければならない。エコキュートが壊れたら業者に連絡して修理して貰わなければならない。そんなことをしているうちに、なんとなく生活レベルも、それ相応のものになってしまいます。


ですが廃屋のような古民家生活なら、ものが壊れたとしても、そんなものさ、で済ますことが出来ます。必死になって元通りにしなければなんてことも無くなるでしょう。もっとも、古民家で壊れるものを探すことの方が難しいですが。


恐らく人付き合いは、今以上に無くなるでしょう。動物は好きなので、そういう場所に行ったら好きな動物に囲まれて生きると思います。自分は最後まで、人とのコミュニケーションを苦手とした人間で終わると思います。


そして最後は、孤〇死、となるわけですが、そんなものは取るに足らないことです。本人がこの世になにも期待していないのですから。また期待を抱けるような人生を歩んでこなかったのですから。


孤独死というのはまだこの現世に未練がある人が口にする言葉です。

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