会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

転職歴を振り返る

こんにちは、curiosです。


私の会社人生は言ってみれば転職を繰り返す人生でもありました。最初の会社を2年ほどで辞めてから、無気力になったり、投げやりになったりで、30半ばまで寄る辺ない転職生活を繰り広げて来ました。そうしてどんどん履歴書の職歴は増えて行き、再就職も難しくなって行きました。


昔はそのことを恥ずかしくも思いましたが、55歳になろうとしている今、なんだかよく頑張ったなと自分で自分を褒めてあげたい気持ちです。会社生活に適応出来ないということは、昔だったら人間として不適合者という烙印を押されたも同然でした。そして、そのようなことを実際に言われたりもしました。


ですが、長い年月が経ち、必ずしもこちらが悪いわけでもないというのがわかって来て、また社会的にも企業側の傲慢を追及する動きが出て来たりして、ここらで会社というものの在り方を見直そうという機運も出て来ました。私はもう働くということを能動的には選択しないのでその恩恵には預かることはないかも知れませんが、今後同じような悩みを抱えた方々が、楽に生きれるようになることを願うばかりです。


私の職歴はこうです。


某電子部品製造工場   新卒~2年間  
プータロー       1年ちょっと(公務員試験の勉強など)
某プラスチック成型工場 4年
複写機部品製造工場   2年
某製紙会社1      7年
某製紙会社2      2年
派遣会社        3年
某芝生管理会社     16年


これが私がこの社会に残した『爪跡』です。時はバブルが始まる直前で、氷河期世代の人からすれば、いちばんいい時期じゃないか、と羨ましがられるかも知れませんが、それはそれです。世の中には、そんな状況でも流れに乗れない人間がいるのです。


でもバブルが弾けて、みんなイケイケだったのが、みるみる間にしぼんで行ったのには笑ってしまいました。そうして私のような人間のことを『暗い』などと言って事の他嘲笑っていたような連中が、軒並みしょげているのを見て、やはりあれば悪い夢だったんだな、と思うようになりました。バブルというのは人間の愚かさを映し出す鏡のようなものだったと思います。


いちばん長く持った会社は、最後の会社でした。理由としては、業務が単純であまり思い悩むことが無かったのと、社員の多くが中途採用で、ある程度は世間の荒波に揉まれているのでわきまえている、ということだったと思います。私もここが最後の砦だぞ、と半ば言い聞かせていました。それでも最後は思い悩んで辞めてしまいましたが。


いまの情勢は、企業側が幾ら求人しても、働く側がなかなかそれに応じない、という状況だと思います。私個人の考えを言えば、時給幾ら、なんて扱いをやめない限りは、人材は戻って来ないんじゃないかと思います。人件費を圧縮して利益を上げ、それをどんどん内部留保していってるような状況では、バカらしくてやってらんない、というのが働く側の本音です。


奇しくも”Quiet Quitting”なるものが本国で流行り始めているらしいとのこと、FIREの次は会社に居ながらにして退職というムーブメントだそうです。これは一種の反旗を翻すという行為ですね。


どういう作用を生むか、楽しみです。

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