会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

セミリタイヤして楽になったこと

こんにちは、curiosです。


現時点でセミリタイヤして一番楽になったと感じるのは、”人に気を遣わなくていい”ということです。


仕事なんかで、他の人と一緒に仕事をやる時など、誰の意見を尊重するか、または他の人はどうやるつもりなのかとか、その場の空気を一生懸命読んで、なるべく波風の立たない方向で物事が進むように心掛けます。それが気疲れする要因にもなっているのですが、まあ日本社会の掟というか約束事ですよね。


私はその加減というか、どの程度人に歩調を合わせればいいのかというのがわからなくて、やるときは徹底的にやってしまい、気疲れの原因にもなっていました。


そういうことの見極めがうまい人が、この社会で渡って行ける人なんじゃないかと思いました。抜く所は抜き、締める所はしっかりと締める。その判断に迷いが無いので、一緒にやっている人たちもその人に付いて行けば間違いないと信じることが出来る。例えそれがハッタリだとしても、自信を持って実行すれば周りの人たちも安心します。


逆に判断が正しかったとしても、なにか不安気なものを醸し出している人(自分のような人間です)には、この人に付いて行って大丈夫だろうかという懸念を抱かせます。結局判断が正しかったとしても、この人ならという感じにはならない。何事も、自信を持って物事を行うというのは大事です。


私はそういう疑念のようなものがいちいち大きくて、果たして自分が人に何かを命令する資格はあるのだろうかという問い掛けを、常に持っていました。だから社内でも、あまり人を使って何かをするということが得意ではなかった。ですが上の人は例えその判断が間違っていても、後でこうすればよかったなんてことは考えなくていいのです。下の人は、その人がやれといえば、その命令に従うので、後のことは考えなくてもいいのです。


私がこのような結論に至ったのは、本当に会社というものを見限る1、2年前ぐらいのことなので、その頃はもう様々な対人関係のもつれのようなものでヘトヘトになっていました。だから結論が出ようが出まいが、結果は変わらなかったのかも知れません。人をうまく使える使えないというのは、それだけでその人の会社生活を左右するぐらいの大きなファクターになっていると思います。


残念ながら常に不安を持って取り組む人間は、付いて来る人間もそのオーラのようなものをなんとなく感じ取ります。だから私にとっても向こうにとっても、気持ちよく仕事を出来るような環境は作り辛かったと思います。まあこんなことを思うのも気の遣い過ぎになってしまうということになるのでしょうが。


いずれにしても、私のような人間がある程度資産を貯めて、セミリタイヤの決断をしたのは、結論としては非常に正しかった、と言うことは出来ると思います。

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