会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

貧乏こそ最強のライフスタイル

こんにちは、curiosです。


セミリタイヤ生活を実践して行くに当たって、節約しなければならないと考えている人は多いと思います。なにより持っている資産を大事に使って行かないと、途中でサラリーマン生活に逆戻り、なんてことになりかねないですから。


ですがそのことにばかり捉われて、ケチケチ人生になってしまうのも如何なものか?と思います。やはり人間らしく、時には豪快にお金を使うというのも精神衛生上大事です。


私もこの生活に入りたての頃は、とにかく節約一辺倒でした。ひとつひとつの物を、これは絶対必要なものか、というのを確認してから買っていました。レシートも必ず持ち帰り、家計簿に載せていました。


ですがこういう生活を続けていると、きっと何処かで反動が来ます。私も、2ヵ月ほどで家計簿をやめてしまいました。なんだかチマチマ付けているのが馬鹿らしくなってしまったからです。


また、あまりにも節制していた揺り返しが来てしまったようで、最近は結構気にせずに買い物をしてしまいます。スーパーやドラッグストアで、食べたい物を躊躇なく買ってしまう自分がいます。


ですが、私はこれは内奥の声だと思って、それに従うことにしています。節制していればその揺り返しが来て散財してしまう、これは、人間の健全な反応だと思います。そしてある程度散財すれば、また節制に戻って行くという図式が出来上がる。


私の家は幼少の頃から、かなり貧乏でした。子供の頃に住んでいたのは借家で、小学生の頃に引っ越した家も、十年も経たないうちに見た目がボロボロになり、かなりの劣等感を抱いて育って来ました。まともな家に住んでいる人が羨ましい、ずっとそう思って来ました。


あまりにもそんな生活を続けていたため、貧乏暮らしが板に付いてしまったように思えます。自ずと何処ら辺りが自分の貧乏の限界点かというのを身体が覚えてしまっているようです。


そうして貧乏暮らしに耐えられなくなってくると、ある程度は好きなものを買って、自分の心の声が満足だというまで浪費します。そうなってくるとひとまずは安泰です。またせっせと節約に励みます。


貧乏な生活というのは、勿論しみったれていて嫌なものですが、自分の置かれた環境を過大視しなくなるという点ではいいことだと思います。すこしお金が入って来たからといって、気が大きくなり豪遊してしまうというお金の使い方は、まずしません。どうせこんなの当てにならないものだから、浮付いたことはせずに取って置こう、そうしてどうしても辛抱出来なくなったときだけ使おう、となります。


セミリタイヤブログを見てみると、老後の資金の運用についていろいろ議論されているようです。元金は取り崩さず運用益だけで生活して行くとか、いやそもそも元金を残したって意味がないんだから、自分が生きている内に使い切るのがベストだ、とか、喧々諤々です。


ですが一番無理のない方法は、自分が耐えられるときは節制して、そうじゃないときは心の声に従う、というのがベストだと思います。そのサイクルみたいなものを、貧乏という訓練によって確立した人間は、財産を取り崩す、取り崩さないという議論を、軽々と飛び越えて行くことが出来ます。


貧乏こそ最強のライフスタイル、というのをちょっと拡げたくなって来ました。

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