会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

水晶の舟

こんにちは、curiosです。


一時期よりは大分落ち着いて来ましたが、自分の死んだときのことを想像する癖がまだ抜けません。


もっと率直に言えば、死ぬときに味わう感情みたいなものが、どんなものか知りたいのです。


その時に自分は安らかな気持ちになれるか、或いは悔恨の情に苛まれるか。


一番人生に思い悩んでいた頃、いつになったら楽になれるんだろう、ということばかり考えていました。このいばらの道のような生を、早く終わらせたい。漠然と、28ぐらいでなんらかの方法で逝くことを考えていました。


そうなったら楽になれるんだろうな、と思うと同時に、この人生の意味は死ぬときにわかるのかも、と思うようになりました。人は死ぬときに走馬燈を見ると言います。自分がそれまでやってきたことの集大成のようなものが矢継ぎ早に映し出され、いいことをしたときは朗らかな、悪いことをしたときは身が切り裂かれるような感情を味わうと言います。


自分はいったいどっちが多いんだろう?過去の嫌な記憶はもう振り返りたくないな、でもそのときはきっと心が焼かれるような羞恥心を味わうに違いない。


でも結局、この世は苦行の繰り返しじゃないか。それに走馬燈だってあるかないかわからないし、自分なりに必死に生きて来た故の所業なんだ、逆にこちらが神(のような存在)に問いたいぐらいだ。神さま、なんでこんな世界を造り上げたんですか?と。


本当に、若い頃の自分はこんな『青臭い問いかけ』を、誰にするともなくしていました。怪しい宗教団体が勧誘していたら、一発で入信させられていたことでしょう。


精神的に追い詰められていたといまでは思います。ですが、多少楽になったと思えるいまでさえ、時折そのような観念が襲い掛かって来ます。そして自分にとっての人生の本当の意味は、死ぬときにわかるんだろうな、と思うようになりました。


自分にとっての最期の光景、雨のそぼ降るなか、何処かの草むらで、自分は空を見上げています。BGMはドアーズの、『水晶の舟』です。



The Crystal Ship


ユルめの曲調が、自分のこれまでのがんじがらめになった魂(のようなもの)をほぐしてくれることでしょう。


そして最期は静かに微笑みながら、逝きたいものです。

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