会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

雨の日の記憶

こんにちは、curiosです。


なんだか梅雨が戻って来たような気候ですね。


こういう時に思うのは、無職になって本当によかったということです。


雨の日の感覚というか気配は、決して嫌いじゃありません。縁側に出て、雨に打たれているキュウリやピーマンなどの作物をじっと眺めているだけでも、特別な時間を過ごしているという感覚がありますし、ちょっとぐらい雨に濡れても、自然を肌で感じているような実感があります。野生の鳥や生き物は、すべて雨に打たれているのです。


私の趣味のひとつである釣りなんかでも、雨というのは決して排除すべき要素ではありません。雨が降れば水量も増えるし、魚の活性も上がります。自分が濡れても構わない服装を心掛ければ、雨はむしろ歓迎すべき要素です。


雨が歓迎されない要素になるのは、前職の仕事に於いてでした。流石に雨の日も、なんて優雅には言えません。


前職は野外作業で、晴れた日には機械や乗り物に乗って、敷地を整備するのですが、雨が降ると、そういった機械には乗れず、やることと言えば土手や法面の草刈りでした。


これはもう消化仕事みたいなもので、雨の日には敷地の隅ッコや林に行って、ジメジメした気候と戦いながら延々と草刈りをするのです。カッパを着てはいるものの、汗と湿気でほぼ着てないのと同じでした。所属長に温情は無く、雨だからと言って室内でのんびり、なんて選択肢はありません。


お昼になって事務所に戻って来ても、また濡れたカッパを着なければならないという義務感からか、心の底からホッとはしません。そしてもう一度カッパを着て、3時半頃まで土手や斜面を刈り続けるのです。


この『雨だから取り敢えず草刈りをやらしとけ』、という安直な思考回路が溜まらなく嫌でした。雨だから若いヤツに資格を取らせるための勉強タイムにしてもいいわけですし、もっと言えば雨のときぐらいゆっくりしろ、という粋な計らいがどうして出来ないのか、歯痒くてなりません。


ユンボやショベルなど、大型特殊の免許なんて持たないでみんな乗らしているわけですし、その為に雨の日は免許取得の場としても全くおかしくない、むしろ違法な操業を止めるための優先事項としたっていいくらいです。


そういう杜撰な形態を見過ごして置きながら、やることはしっかりやらせよう、という3歳児のような発想、もう考えただけで胸糞が悪くなって来ます。


いまはこうやって雨の音を聞きながらのんびりと時間を過ごせています。もうあの頃には戻れません(戻りたくもありません)。

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