会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

55歳で限界だった

こんにちは、curiosです。


会社を退職してから、一段と疲労が噴き出しているような気がします。


今年の年初から仕事は休んでいたので、肉体的な疲労は蓄積されていない筈です。まあまだ籍は置いたままだったので、微妙な居心地の悪さがあり、それが気分が晴れない原因かと思っていたのですが。


6月30日に退職して、心機一転これからのことに注力して行けると思っていたので、気分は晴れやか、になる筈だったのですが、なんとなくいままでのなかで一番どんよりとした気配が立ち込めています。


身体中の毛穴から、いままで溜め込んで来た膿が噴き出しているかのようです。その膿というのは、自分が若い時から溜め込んでいたものです。人間関係を始め、会社でのやり取り。罵倒や馬鹿にされた記憶、半グレのような連中から受けた仕打ち、など。


何処へ行ってもそのような連中と縁が切れることは無く、最後の会社でもそうでした。


世の中に学歴や格差のようなものがある理由は、きっとそれが護符のようなものとなって、そのような連中を遠ざける役割も果たしているんじゃないかと思います。努力してそのようなものを手にしておけば、そういう無駄なエネルギーを浪費せずに済む。


頭のいい人たちは、そういう結界のようなものを理解していたと思うのです。もちろん肉弾戦で渡り合ってもいいのですが、社会人として失うものが多過ぎます。


負け犬の遠吠えに聞こえるかも知れませんが、それを教えてくれる存在(親)がもっとしっかりしていてくれれば、と思いました。


55歳(正確にはまだ54ですが)にして、親のことを持ち出すとはケツの穴のちっちゃいヤツ、と思われそうですが、本当に、人生の教訓のようなものを、ひとつも分け与えてくれなかったのです。自分が生きて来た上で、痛い目に逢った経験のようなものを踏まえて、息子に秘訣のようなものを授ける。それが真っ当な親の在り方ではないでしょうか。


本当に、55歳で限界でした。


唯一の救いは経済観念は欠如していなかったので、まあ金銭的な事に関しては大きく踏み外すことが無かったことだと思います。しかし残念ながら、私には子供を持つことが出来そうにありません。私が経験のなかで得た秘訣のようなものは、私のなかだけで完結して行きそうです。


痛みや悲しみを回避する術みたいなものは、誰にも受け継がれずに終わることになります。

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