会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

悪者にされる感覚

こんにちは、curiosです。


今の会社だけではないですが、業務などをこなしていく上で、なんとなく悪者にされることが幾度かありました。


すこしだけなら苦笑いで済ませることは出来ますが、それが度重なると黙ってはいられません。


何故ならいわれのない罪を着せられることになるからです。


会社に多い人の特徴として、何らかのレッテルを貼り付けないことには気が済まない人、というのがあると思います。


私はこういう人達は、TVの芸能レポーターと同じぐらい低俗な人達だと思っています。


簡単に、その人の人となりを評価してしまう。その人の持っている本質、みたいなものに到達するまで評価を保留してあげる、ということが出来ない。


私は雄弁な方ではないので、そういう評価に対し、抗弁するということをあまりしませんでした。また日本はどちらかといえば争いを好まない社会なので、こういったケースにはひたすら耐えて、時間の経過に任せる、という解決法しか無かったと思います。


私がこういう時に規範とするのは、過去にマスコミに散々叩かれて、それでもひたすら沈黙を守って、時間の経過に耐え抜いた人達です。


彼らは誰が見ても悪者にされていた。スキャンダラスな報道に連日晒されて、マスコミと世間のいいオモチャになっていた。第三者の私から見ても、どちらかと言えば叩く側に付いた方が分が良かった。


でも彼らはその時間をひたすら耐え抜いた。そして本来の活動に打ち込み、雑音が聞こえなくなるまで自分のペースを守った。世間の声なんていうのは長くは続かない、人の関心なんて、次から次へと変わってしまうからです。


そしてそれが明けてからは、本来の活動と共に再評価されるようになった。皆な言いませんが、多くの人は手のひらを反すように改めてその人を褒め称えた。世の中なんてそんなものです。


また何処かに勤めることになるとすれば、同じような時間を通過することがあるかも知れません。ですがこのような事前学習をしておけば、取るに足らない出来事と、涼しい顔でいられると思います。


誰かを悪者にすることでしか自分の虚栄心を満たすことが出来ない人達を、乗り越えて行かなければならない、それも私が会社生活で得た教訓のひとつです。

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