会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

目覚めた修験僧

こんにちは、curiosです。


いよいよ暖かくなって、これから山歩きや散策に、出掛けることが多くなりそうです。


夏には黒部峡谷にも行ってみたいと思います。勤めていた頃は、休みが一日しかなくて、泊りでの行程がほぼ不可能でした。有給でも出そうものなら、異星人でも眺めるような目付きで暗に非難されたものです。


なので、それらの楽しみは、定年になってからだな、と漠然と思っていましたが、よく考えると体力が衰えてからでは遅いのです。60を過ぎて、ようやく思う存分山登りが出来る、なんて思っても、身体が追い付かなくなったら元も子もないです。だから今から、いや今だからこそ、身体を酷使して存分に体力をキープして置く。そうすれば末永く楽しめると思います。


そんなことを考えながら現役の頃の有給取得のやり取りを思い出していたら、段々腹が立って来ました。会社員の当然の権利である有給の取得を、あからさまに妨害されて、それで流したところで金銭的なバックアップもない。明らかな流し損です。


これだけ考えても、ブラックたる充分な素養がある会社だと思います。


ですが会社に勤めていた頃は、勿論不満はありましたが、それがこの会社のデフォなんだなと思って、それに従っていました。そしてわずか一日の休みを、大事に使ったものでした。


いまから考えると、これが洗脳というものだと思います。視野が狭くなって、物事の有り方が見えなくなっている。これが会社勤めというものだ、と自分を納得させてしまっていた。


そして僅かばかりのサラリーのために、奴隷のようになって会社に従属していたのです。


今年の年初から有給をずっと使って会社を休んで、その後は傷病となって現在に至りますが、働いていた頃とは明らかに視野が違います。大分広くなって一段階上に上がりました。


その視点から物事を眺めると、色んなことが見えて来ます。そして会社での上司の持って回った言い回しも、ちゃんちゃらおかしいという感じです。会社のため、という名目を使ってはいますが、会社のため、という言葉を借りて自分のエゴを押し通すだけのものだったのです。


目覚めた修験僧には、通用しません。

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