会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

日本は夢も希望もない国に成り下がった

こんにちは、curiosです。


先日、登録してある地元の職業安定所から、一通の知らせが届きました。


それは、自分の持っている資格や、希望している職種に、企業からの募集があった場合、それを知らせてくれる案内です。


職種はとある国営施設のなかにある、ボイラー技士の募集でした。


ですがこれは前にも応募したのですが、書類を送ってもその後の連絡はなし。というわけで、自分程度の人材では箸にも棒にも引っ掛からない、レベルの高い職場だ、という結論が出ていました。


ですがいまは一応は自由の身です。もう一度、ダメ元で応募してみることにしました。すると今度は試験日のお知らせが届きました。第一関門は、突破した、というわけです。


そして試験日(昨日です)、恐る恐る会場へ行き、採用試験を受けて来ました。


内容は、なかなかのものでした。バラエティに富んでる、というか、知識を万遍なく試されている、といった感じです。


そして面接、身体検査、と続きました。身体検査では、自分のこれまで罹って来た症状を正直に書かなければならないので、適応障害に今年の初めになり、そして通院中であることも記載しました。その時点でもうダメかな、と思ったのですが、後で発覚するよりはまだいいです。


試験中に、窓からその施設の敷地内を見渡しました。そして、恐らくこの関門を突破するのは難しいだろう、と客観的に思いました。ましてや自分は適応障害になっている。ですがこれは、自分なりの挑戦です。そして、もし不採用の通知が来れば、負け犬の遠吠えかも知れませんが、その程度の職場だったんだと思えばいい、と思いました。


日本は夢も希望もない国に成り下がったと思えばいい、それだけのことです。

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