会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

生き抜く術を見つけなければならない

こんにちは、curiosです。


私の父はいま介護施設に入っています。82歳ぐらいから認知症の兆候が出始め、87歳でとうとう面倒を見切れずに介護施設に預ける運びとなりました。


父は地元の町役場に定年まで勤めていて、そのため年金だけはそれなりに貰えていました。ですので介護費用はそのお金で賄えています。これで介護費用がそれだけで賄えないとなると、私のセミリタイヤの計画すら危うくなってきます。ですので父がそれなりの年金を受給できているということは、素直に感謝しなければならないと思います。


父はかなりの酒飲みで、本当ならそれなりに出世出来ていたのを、酒の失敗で課長止まりで終わりました。そして定年後は再就職もせず、好きなパチンコや囲碁などの娯楽に興じて、財産を増やすなんてことには無頓着でした。そして毎日酒を飲み、脳を萎縮させて行きました。介護施設に入所するときに、脳の精密検査を受けた結果を見せてもらったのですが、脳がすっかり萎縮して、隙間が広がっていました。


子供の私よりも高度な学歴を持ち、役場なんかに勤めれば間違いなく助役ぐらいのところまでは行けたはずです。おとなしく、というか、世間一般のソツのない人たちのように振舞えば、容易くそのポジションを得ることは出来た。それが出来なかったのは、やはりその人間特有の闇というか、業というものの為せる技だと思います。


そんな父から、学ぶことが出来るとすれば、やはり自分なりにこの世の中を生き抜く術を見つけなければならない、ということです。地方公務員という、無難に勤めれば平穏無事な会社生活を送ることが出来たのを、敢えて自分の欲望のままに生きた。そのおかげで、資産というものも築くことが出来ず、残っているのは今の家と、土地だけです。


私は高卒の工場勤務で、あちこち職場を変わって、根無し草のままです。ですが元々が打たれ強い(或いは打たれたらすぐそこから撤退する)性格の為、社会というものに丸め込まれずにここまで来た。社会というものの傲慢さ、残酷さ、人に対する冷徹さというものを身を持って実感することが出来た。そして今ではある程度の資産を築き、セミリタイヤという目標も可能にする所まで来た。


あとは父のようにボケないで老後を迎えられれば、自分の落とし前をしっかり自分で付けられるような最期を迎えることが出来れば、と思っています。

×

非ログインユーザーとして返信する