会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

ヤツらに理解されようなんて思わない

こんにちは。


町役場に父が死んだあとの諸々の手続きをしに行く途中、立ち寄ったコンビニで、以前の会社の人間に会ってしまいました。


そいつは直接の関わりは無かった人間ですが、なんとなく不敵な雰囲気を出しているヤツで、出来れば顔を合わせたくないヤツでした。


固定資産税の払い込みをしたかったのですが、機械の調子が悪く、マゴついてしまい、早々に立ち去る、ということが出来ませんでした。


私が支払いを終えてクルマに乗り込むと、そいつも丁度出て来て、窓越しに目が合いました。


そいつはこちらをチラッと見て、すこし笑みを浮かべています。当然挨拶なんてしません。


会社にいた時から、絶対に向こうからは頭を下げない人間でした。怒鳴りつけてやろうか、と何度も思いました。


ですがいまは私は会社に居ないので、そんなことで怒鳴ったって効力はありません。


すこしイラッと来ましたが、諦めてクルマを出しました。そして役場に向かいました。


会社時代には、こういう葛藤が幾度もありました。そして本当に我慢ならないときは、しばしば口論となっていました。


実際、私の会社は人間としてのレベルが低いヤツが多く、私はそういった人間どもと言わば泥仕合を繰り広げて来ました。そういう時のやるせなさというものが、私を会社生活から遠ざけた一因でもありました。


でもしばらくして、そいつが私を憐れんでいるような目で見ているのを思い出した時、却って安心しました。


何故ならそいつ、引いては会社に残っている人間が、私をそういう風に見ているのなら、私の秘密裏に計画していた現在の生活は、誰にも暴かれていないことになります。


私が堅実な生活で資産を蓄え、その蓄えを更に投資などに回すことが出来ているのに対し、コンビニで弁当を買い、日銭感覚でお金を使ってしまっている、いい歳こいたおっさん連中。


どちらが憐れかは、第三者に判断を委ねればいいことです。


すくなくとも、私は彼らに理解されようなんて毛頭思いません。


そして、理解されないことを逆に喜びます。理解されたりしたら、またあの泥仕合に逆戻りしかねませんから。本当に、そこから抜け出せたのは幸いでした。


セミリタイヤするということは、心の余裕も手にすることが出来る、ということです。

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