会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

不要な根性論は排除せよ

こんにちは、curiosです。


昔、まだ日本経済がイケイケだった頃、企業戦士という言葉が流行りました。要はすべてを投げ打って企業の為に働く姿勢を、『戦士』という言葉になぞらえて称賛するものでした。


今こんなことを言ったら間違いなくコンプライアンス的に引っ掛かりますよね。


私はその当時から、企業がそういうものを称える姿勢が嫌いでした。よくTVなどで、企業の裏側に潜入するという企画をやっていて、とある証券会社の社員がどれだけ努力して日々仕事をしているか、また会議などで上司から、頭ごなしに怒鳴られるのを見たりして、なんでこんなシーンを取り上げるんだろう、と思っていました。


しかしそれが、恐らくは当時の企業戦士たちを鼓舞する戦略だったんだと思います。要はその当時からTVというのは『ヤラセ』に加担していたということになります。これだけ社員一人一人が頑張るから、この会社はここまで業績を伸ばしてきたんだ。そう思わせる内容でした。


ですが、その証券会社はバブルが弾けて経営破綻し、その頑張りも水泡に帰します。もっとも、どれだけその頑張りが会社に寄与していたのかは怪しいところです。


日本の会社や経営者が社員に要求するのは、昔のスポ根物に代表されるような、『血の滲むような努力』です。寝食を忘れて仕事に没頭し、成果を上げる。休みの日も、ヘタをすれば仕事に取り組ませるように仕向ける。部下とゴルフに行く、なんていうのも、純粋な休みにはならない、言わば心と身体を人質に取るのと一緒です。


しかし、その努力が、この20年間でどう結実したか。日本は社会的に疲弊し、国民の意識は下がる一方、という現状です。


私は、こんな話を聞いたことがあります。第二次世界大戦で日本が負けたのは、圧倒的な保有資源の差もあるが、『意識』の違いもその要因のひとつだった、と。


日本兵はやはりその『根性論』を盾にして、戦闘機でアメリカの軍艦に突っ込みます。また人間魚雷というとんでもない兵器もありました。それらはすべて、国が仕向けた愛国心というマインドコントロールのなせる業でした。


対して米兵は、まるで『ゲーム感覚』だったといいます。ゲームのように戦闘機を操り、いわば楽しみながら戦闘をこなしていた。モニターに映る敵を、コントロールスティックとボタンで撃墜していく、そんな感覚で戦闘をこなしていた。


どちらが長続きするか、またどちらが悲壮感がないか、これは自ずとわかりますよね。


日本はその愛国心という感情を利用して兵士を奮い立たせ、根性論で突撃させたのです。


もちろん今の日本はそんな悲惨な状況下にはありません。ですがどうやらその思想の末裔である企業においては、時折不要な根性論が顔を見せる時があります。それによって多くの社員が日々犠牲になっている。


不要な根性論は排除せよ』。これは未だにそいうものが顔を覗かせる日本の社会のなかでの、忘れてはいけない鉄則です。

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