会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

結婚について

こんにちは、curiosです。


セミリタイヤという道筋が見えて来たと同時に、いままでなんでこんな辛い会社生活を続けて来たんだろう、という問いかけが自分のなかに生じています。


若い頃から自分の気質は一向に変わらず、人と関わり合うのが超苦手なため、社会的な成功や達成をなにひとつ成し遂げないままここまで来てしまいました。


人というのは嫌いなことをやっているときは時間が遅く、好きなことをやっているときは時間が早く流れるといいます。だから自分の会社生活は、気の遠くなるような時間だったと思います。


ならばそこまでしてなにを目指していたのか?なぜ早くセミリタイヤという生き方に辿り着かなかったのか?


それはやはり自分にも『結婚』というものに対するぼんやりとした期待があったからだと思います。それ相応の生活基盤を築けば、未来の伴侶を迎え入れることが出来るかも知れない。その可能性に、一縷の望みを託していた。


40過ぎまで、そんな期待を抱いていました。そしてそれが叶いそうにない、とわかった時、自分のなかでなにかが終わりました。


逆に言えば、結婚の可能性がまだ残されている人たちにとっては、辛い会社生活というのもそんなに苦痛ではないということです。セミリタイヤに辿り着く前に、そのゴールに向けて邁進することが出来る。


自分が明確にセミリタイヤへの舵を切ったのは昨年に入ってからですが、結婚出来ていればまた違った展開があったかと思います。多少のことは我慢して、きっと伴侶や子供のために踏ん張っていたと思います。


よく言われるのが、子供を持っていない人間は人として半人前だ、という見解です。これは本当に言われることです。特に会社などでは周知の事実として取り扱われています。


ですが子供を持った人間が、皆な立派な人間か?というと、そうとも言えない面があります。私が会社で相対している限り、まともだと思われる人間とそうでもない人間の割合は、ほぼ変わりませんでした。


ただ子供を持っていればその子供の為にと思って頑張ることが出来る。辛いことがあっても、家に帰って子供の顔を見れば、こんなことぐらいで挫けてたまるか、という原動力になる。


だから自分のような意志の弱い人間は、そのような存在があればもうすこし踏ん張れていたかも知れない。だから結婚していたら、セミリタイヤという選択肢に辿り着くことなく終わったかも知れない。


悔いても仕方がないですが、もう自分はセミリタイヤという道を選んだ人間です。道が見つかっただけでも良しとしなければなりません。


セミリタイヤに向けてひた走ります。

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