会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

過去の喘いでいた自分に

こんにちは。


会社というものにどうしても馴染めなかった自分は、30ぐらいのときに半ばヤケになって、世捨て人のようになりたいと思ったことがあります。


月々最低限のお金さえ都合が付けば、何処かの廃村にでも行って、誰にも関わらずに生きていける、そしてそこで朽ち果てるのが自分の死に様なんだろうな、と。


未来に希望なんて抱くことはなく、死んだときの光景ばかり考えていました。


そんな自分に、いまのある程度人生のゴールが見えて来た自分は言ってやりたいです。


『こんなクソみたいな社会で、よくお前は踏み止まったな』、と。


実際、自死という方法で、この人生から逃れようとした人は沢山います。死ぬことへの恐怖がそれを思い止まらせるのですが、それでもこの先好転するという判断材料がなければ、その恐怖さえも飛び越えて人は死を選んでしまう。


この世は不平等で理不尽だというのはある程度はわかっていたのですが、それが次第に看過出来ないほどの結果をもたらしてしまう、こんな社会に意味はありません。


まあそれでも、持ち前のしぶとさがあったのかわかりませんが、なんとか喰らい付いて来ました。常人にはこの辛さはわからないと思います。


普通に生きるということが、これほど苦難と労力を要求するものだとは。


その頃、頭のなかに見えていた光景は、何処か小高い山の上で、ポツンと乗り物のようなものがあり、ただ輝いている、というものです。


これはもしかしたら私の心象を表していたのかも知れません。その乗り物に乗って、ここから飛び出たい、という願望を映し出していたのだと思います。


いまの私は、この社会で、普通にそれが出来るようになりました。


あの頃の私に、そのことを言ってやりたいです。

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