会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

無職になって釣りをしていた日々

こんにちは、curiosです。


私は会社を多分10回は変わっていると思います。最初は工場に勤めて、その会社を1年半で辞め、そこからは転落人生ならぬ『転職人生』に陥っていました。主に工場勤務で、行く先々で躓き、短い所は3か月程で退職していました。


それでいい加減、この人生が嫌になり、しばらく働かないで、釣りをしていたことがあります。朝、家を出て、近くの湖や釣り堀に、釣り糸を垂らしに行くんです。


やったことのない方は釣りは無料で出来ると思い込んでいるかも知れませんが、釣りって意外とお金が掛かるんです。まず釣りの出来る場所が、大抵は漁協という所に管轄されており、釣りをするためには、入漁料というものを払わなくてはなりません。まあ海のそばに住んでいる方は掛かりませんが、内陸に住んでいる人間は、そこまでの交通費が掛かる。また、道具もひとつひとつが合わさると結構なお金になります。


だから無職=釣り、というと、なんとなくしっくり来ると思うかも知れませんが、決してお財布には優しくない。むしろ、固定収入が無い分、じわりじわりと懐が削られて行くというリアイリティがあります。


ですが、釣りそのものは楽しかった。会社であくせく時間に追われ、身をすり減らしている時と比べ、実に時間がゆったりと流れているんです。また無職の自分がこんな娯楽をしている、という退廃的な気分もありました。世の人間は車や電車で通勤するという同時刻に、自分は湖畔でコーヒーを飲み、仕掛けを準備している。なんと贅沢なことか。


この空気感が理解出来る人というのは、『セミリタイヤ』に向いた人だと思います。大多数の人が同じ方向を向いて、それに向けて猪突猛進する。その様を横目で見ながら、自分の財産が目減りしていくのも気にかけずに王侯のような気分になる。


決して『ヤセ我慢』ではなく、そのような空気感を楽しんでいました。また、その後会社という組織に組み込まれましたが、それはきっと今度はお金を気にせずにそういった楽しみを享受出来る、その準備期間にするという心構えがあったからだと思います。ですので、自分が無職になって、無為に過ごしたように思えた日々ですが、そのような効果は確かにあったのです。


もしかしたら自分は、セミリタイヤへの取り組みを『無意識下』でも実行していたのかも知れません。

×

非ログインユーザーとして返信する