会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

残酷な人たち

こんにちは。


私のような性格で思春期を過ごすと、自ずと難しい状況に自らを追い込んでしまうことがあります。


また、なかなか理解者が現れないというのも厄介なところです。理解者というか、若い時にはああいう時期もある、ということを察してくれない人たちですね。


最悪なのは親戚のいわゆる叔父に、ロクな面々が居なかったことでした。


私のような性格を、あからさまに嫌悪するような人たち。こっちは自分の問題に立ち向かうだけで精一杯だというのに、なんとなくこちらの覇気の無さのようなものを攻撃してくる、頓珍漢な正義感を振りかざしてくる人間です。


お正月の席でも言われました。”お兄さんはいつまでそんなことをやっているんだ?”と。


つまり私が一所に落ち着かず、転職を繰り返していることについてです。そのときは苦笑いで済ませましたが、『この野郎・・・』という思いを拭い去ることは出来ませんでした。


その後、その叔父は事故に遭い、病院に入院します。例え犬猿の仲でも、そういう時はひとまず休戦となります。幾度か見舞いに行き、退院を祝いました。


そうしてそれからしばらく経ち、その叔父の家に母をクルマで送りに行ったときのことです。私の顔を見るなり、


「なんだその顔は!」、「もうちっと痩せろ!」といきなりの暴言です。


その当時はすこし太っていたかも知れません。ですが自分が事故で入院していたときには、こちらはおふざけでもそんなことは言わなかったのです。私もまたいつものが始まったか、と苦笑いで済ませようとしましたが、母をその家に置いてクルマに乗り込んだとき、形容し難い怒りがメラメラと湧き上って来ました。


叔父の前に行き、あの言い方はないだろう、と喰い下がります。するとその叔父は、もういいから帰れ帰れ!と、自分の非はこれっぽっちも認めず、一方的に追い返そうとします。


この野郎!ブッ〇ばしてやる、そう思いました。ですが母が間に立ち、そうはさせまいと私を押しとどめます。その間も私は散々その叔父に悪態を吐きました。いままでの溜まっていたものを全部その場にぶつけました。こん畜生、力じゃ負けないんだぞ!やるならやってやる、そう思ってけしかけました。


ですがややあってその叔父も引いて来ました。私がこんなに逆上するなんて予想もしていなかったのでしょう。そして私もその場を後にしました。ですが、恐らくやり合っていた方が何倍もすっきりしたことと思います。こうしてその叔父とは金輪際口も聞かない仲になりました。街中で偶然に出会っても、私はこれっぽっちも話し掛けません。お互い居ないものと思って接します。


叔父というのはどういう存在なのでしょう?他にも話したい叔父はいるのですが、今回の件でもう充分語ったような気がします。残念ながら、叔父という存在は、この社会の恥部を代表するような存在のような気がします。

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