会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

抜け目のない人だけでは社会は成り立たない

こんにちは、curiosです。


資産形成による現状打開や、セミリタイヤという生き方を標榜している方々は、どちらかと言うと抜け目のない人たちだと思います。


抜け目のない人、というと、ちょっと語弊があるかも知れません。抜け目のない人、というと、ちょっと小ずるいイメージがあります。ですがより分かりやすくするために、抜け目のない、という表現を使って行きます。


その対極にあるのが、そういうことに無頓着な方々です。朝、出勤時にコンビニに寄って、結構な額の買い物をする人たちです。


私の住んでいる地域では、新東名の工事に携わる人たちを多く見るのですが、皆さんコンビニに寄って、マンガを買ったり、コーヒーを買ったり、タバコを買ったりと、最早コンビニに寄るのが日課という感じです。そしてそういう方たちのおかげで、地元のコンビニはかなり潤っているようです。


でも私はこれはいいことだと思っています。新東名の工事というのは国が発注した工事であり、それは景気対策という名目にもなっています。工事を発注して、その建設を請け負った企業やその下請けの人たちが、賃金を貰って、そのお金を毎日の楽しみのために使う。それは経済対策としてはとても理に叶っています。大体、工事関係の方たちというのは、チマチマお金を貯めるなんてことは性に合わない人が多いと思います。その効果を当て込んで、公共事業などの予算を立てているのでしょう。


私たちのような、人と関わりたくないためにお金を貯めて、生活も出来るだけミニマム化する、なんてプランを立てている人間とは、対極にある人たちだと思います。それ故、お金の管理はすこし大雑把ですが、気前のいい人も結構多いみたいです。


もしこういう人たちが、世間の情勢に敏感になって、お金を節約し出したら、どうなるでしょう?ただでさえ不景気な世の中が、本当に不景気になってしまうでしょう。不景気だ不景気だといいながら、なんだかんだで物は売れ、経済は回っています。それが皆な私たちのように財布の紐を締め、節約に走り出したとしたら、本当に世の中はバッタリと活気が無くなってしまうでしょう。そうして想像も付かないような経済不況がやって来ると思います。


私たちセミリタイヤを標榜している人間は、その事実を、あまり声高に訴えません。それはやはりセミリタイヤという生き方が、どちらかといえば社会に対して積極的とは言い難い要素を含んでいるからだと思います。決して悪いことではないのですが、あまり大っぴらに出来る生き方ではないと思います。


ですがそうすることでしか、この世の中を生きて行けないぐらいの傷を負った人間、という言い方も出来ると思います。我々のような人間の、最終到達地点ともいえるセミリタイヤを、これからもあまり喧伝することなく追求して行くのが我々セミリタイヤラーの使命と思います。抜け目のない人たちだけでは社会は成り立たないのです。

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