会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人を殺したら来世は〇〇になる。

こんにちは、curiosです。


今回は私の妄想癖全開の記事なので、お付き合い出来そうにない方はご遠慮下さい。


以前に『人間に生まれて来た時点で勝ち組』という話しをしました。人は人であり続けるために社会のルールを守り、人道にもとらない生活を心掛けます。


私は、この厳しい世の中を生き抜く理由は、人が人であり続けるためだと思っています。世の中に出たら色んな人と関わり、色んな目に遭うことになります。


正直言って、あまり愉快な目に遭うことはありません。それどころか、かなり不愉快な目に遭うことの方が多いと思います。


恫喝されたり、人の持っているお金を当てにされたり、やんわりと聞いただけなのに頭ごなしに怒鳴られたり。


これが社会の現実です。そして、そういう目に遭ってなお、人の道に背かないようにしなければなりません。


それは何のためか。『また人間に生まれて来るため』です。


私は来世は信じていません。若い頃は信じていましたが、いまはそんなのは信じていません。では何故人間に生まれて来るためなんて言うのか。


それはひとつひとつの命が繋がっているからです。私たちは一人一人が、それぞれ独立した生命だと思っていますが、実はこの地球の生命は、すべて大元で繋がっているのです。ひとつの生命体として、大きなうねりを持って活動しています。


そうして、人であったり、ライオンであったり、トカゲであったり、バッタであったり、ミジンコであったり、花であったりします。


その中で、その器に入る生命体は、その器に相応しい行いを積み上げて来たものに限ります。ミジンコのようにピンピンと跳ねて突き進むものが人間になったら困りますし、人間のように大人しいものがライオンになったら、それこそ一撃で喰われてしまうでしょう。


それと、例え人間でも、社会の規範を平気で無視して人の物を盗ったり、その過程で人を殺してしまったような人は、間違いなく今度の器は地中の存在になるでしょう。人がそれぞれ傷付きながらも遵守している人としての道を守れなかったものとして、今度はそれに相応しい存在になるのです。


それはすなわち輪廻転生=来世じゃないか?と思われる方もいるかも知れませんが、ひとつの大きな生命体として繋がっている、という点に於いて、違うと思います。またそんなものあるかどうかもわかりません。


ですが、この混沌の世の中を生き抜く価値観として、有効なものであると思うのです。

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