会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

セミリタイヤは文字通り『早上がり』の感覚

こんにちは、curiosです。


セミリタイヤをしてからの生活は、なんだか学校を早上がりして、ワクワクしながら帰る帰り道の感覚に似ていると思います。


小学校のとき、病院に行くなどの理由で、授業を早引けして帰る時のあのワクワク感。私は生来がイージーな性分だったので(俗に言う怠け者)、そういうときの帰り道は、なにもかもがキラキラと輝いていたように思えます。


または、仕事を休んで、皆が働いている時に、何処かの湖畔でコーヒーを飲んでいる時の感覚。通勤のクルマが忙しなく行き交うなか、なにをそんなに急いでいるんだ?まあ落ち着けよ、とこの巨大なエンジンのような現代社会の在り方に警鐘を鳴らす賢者にでもなったような心持ち。


どちらも大いなる勘違い野郎であり、この社会から見たら看過出来ない不安分子の一端でしょう。


そのため、私は社会にデビューした一年目から散々な目に合され、打ちのめされて来ました。不安分子を排除しようとする社会は見事にその機能を発揮し、取り敢えず目の前の仕事をひたすらやり続けろ、余計な事には気を移すな、という思想を叩き込まれました。


そうして意志を失ったロボットのようにその思想を強制され、そうして人間としての尊厳に傷を付けられ、私の20代は終わりました。それと同時に人生も終わったような気がしました。


30代も、およそその延長線上にありました。会社に行ってもなんだかよそ者のような感じで、皆が一心不乱に働いているなか、なんとなく弾かれているという感覚がありました。それは私が心のどこかで、小学生の時に抱いていた、早引けした時のワクワク感への憧れを、捨て切れていなかったからだと思います。


勤勉さが美徳とされる日本社会に於いて、こういう感覚の持ち主はまず排除されるか叩かれると思っていた方がいいでしょう。日本の会社では、皆が同じ方向を向いて、集中することが求められます。そのなかでは、道端の草や木に興味を持ったりする人間は、国賊として扱われます。


そうしてその虐げられた日々をなんとかくぐり抜け、やがてセミリタイヤ出来るぐらいの経済的余裕が出来始めた頃、自分はある確信に思い至りました。


それはこの社会が結局は戦時中の思想統制のようなものに支配されている、ということでした。とにかくその人の目を眩ませ、働くということを称賛し、それを否定する或いは疑問を呈したりする人間は、真っ先に異端分子として排除する、それがこの国の在り方だと。


生来が怠け者で、また目を眩ませられることのなかった自分は、その格好のターゲットになりました。そうして文字通り排除され、会社を10数回変わることになりました。ですが本当の自分(怠け者であり、よく言えばアウトロー?)を変えることは出来ませんでした。迫害された分だけ、その信念は確固たるものになりました。


そうしていま、文字通り『人生の早上がり』を完了し、まるで小学生の頃のような早引けの感覚を毎日味わうことが出来ています。


「おい、なにをそんなに急いでるんだ?お前の頑張りなんて、なんの為にもなっていないぞ」。

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