会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

欲望を最適化(カスタマイズ)すること

こんにちは、curiosです。


オリンピック絡みの不祥事で、今度は元電通の理事がAOKIから金品を受け取っていたという事件がありました。


電通はいい噂がない悪徳会社で、AOKIはあのフレッシャーズのCMがベタ過ぎて好きではありません。どちらも欲と煩悩にまみれた経営陣しかいない俗物的な会社です。


こういうニュースを見ると、人間の欲望には際限がないということを思い知らされます。確かにお金はあればあるに越したことはありません。貯金通帳の数字が、1000万、1500万、2000万と上がって行けば、確かにほくそ笑んでしまうのはわかります。


ですが、そこに喜びを見出してしまうと、お金を貯めるということが『目的』になってしまい、そのお金を使って何かをやるということが『埋没』してしまいます。これでは本末転倒です。


本来、お金というのは何かを手に入れるために使うものです。食べたいものを買ったり、好きなものを手に入れたり、そういう引き換えに使ってこそ本来の機能が発揮される。そして、欲しい時にそういうものを手に入れた時の実感というのは、ささやかながらも格別なものです。むしろそういうお金の使い方なら、後ろめたさを感じることはありません。多少浪費してしまったかな、と思っても、後悔するということは無いと思います。


私は最後の会社でも、決して高給取りというわけではありませんでした。手取り20万円程度で、年齢からすれば失笑されてしまうほどの金額です。


ですが自分のしたいことをするだけの金額ではありました。それは生活レベルをその金額に合わせて行ったというのもありますが、合わせて行ったとしても決してひもじいとかみみっちいとかは感じませんでした。何故なら美味しいものはその金額内でも充分食べられるし、自分の趣味的なものにも充分使えるからです。そしてそういう用途のお金は使えば確実にストレスは解消出来ました。何故なら自分が欲しているものにお金を注ぎ込むことが出来たからです。


いままでの会社でも、お金をとにかく貯め込むことに心血を注ぎ込んでいる人はいました。そういう人たちは、お金を貯めることが目的化していて、使うことは二の次になっていたような気がします。それが悪いというわけではありませんが、お金は本来引き換えに使ってこそのもの、という大前提が霞んでしまっていた、と思います。


いまの日本では、月15万円もあれば、自分のしたいことをして、好きなものを食べることが出来ます。これを敢えて小さくまとまっていると捉えられる人も居るかも知れませんが、私としては、『欲望を最適化している』という風に捉えてもいいと思うのです。すくなくとも冒頭の、欲望の権化となってしまった権力者たちのズブズブの肥溜めのような汚い脳内よりかはクリアに物事を見ることが出来ていると思います。

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