会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

対人関係に傷付いた人間の末路

こんにちは、curiosです。


私は50台半ばまで会社勤めを、ある意味では懸命にやって来ました。


元々精神に疾患のようなものを抱えていたのかも知れません。行く会社行く会社で、人間関係に悩まされ続けて来ました。


世の中のサラリーマンという人たちの、大半もそうだと思います。人間関係で仕事を辞める、という人の割合は、恐らく過半数を超えていると思います。


会社に行って、ただ単に業務をこなすというだけなら、それほど苦労はしない。そこに人対人のやり取りが加わることによって、たちまち会社組織と言うのは難攻不落の要塞のようなものに変わってしまう。


私が一番苦労したのは、ゴロツキというか、半グレの連中たちでした。本来なら、そういう連中は、法に則って然るべき処分を受けるべきだと思うのですが、会社組織に於いては、そういう連中は却って見込まれているようでした。


つまり私の半生は、そういうヤツらと出会っては会社を辞め、また会社を変えてはそういうヤツらに進路を妨害される、その繰り返しだったと思います。


世の中にこんな理不尽なことがあるのでしょうか?真面目に仕事をして普通に生きて行きたい、望んでいるのはそれだけのことなのに、大抵の場合は報われません。


そうしていま、薬を飲みながら療養しているのですが、これはせめてもの救済だと思います。もうこれ以上傷付くのは無理だ、精神が崩壊してしまう、そういう人間がひっそりとではあるが暮らしていけるような、最低限の制度が国によって定められている。


今の一番の楽しみは、色んなウイスキーを集めたり、探したりすることです。飲むのも好きなのですが、適応障害の薬を飲みながらの飲酒は推奨されていないのと、身体をあまり使っていないため、飲み過ぎると体重の増加に直結してしまうので、なるべく控えています。


せめてもの願いは、自分の好きなウイスキーをチビチビやるぐらいの、経済的な余裕ぐらいは、残して置いて貰いたい、ということです。毎日と言わなくていいから、せめて3日に1回ぐらいの。


これが対人関係に傷付いた人間の、最後の願いです。

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