会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

パチンコ屋の存在理由

地方都市の特色かも知れませんが、娯楽がパチンコ屋か飲み屋しかない、という構図があります。


パチンコ屋は駅前よりも、郊外のチェーン店が多くなっています。そこでは大音量でパチンコの音が流れ、普通の人だったら耐えられないぐらいのノイジーな空間になっています。


パチンコについては、競馬や競輪よりも勝率が悪いギャンブルだというのはご存知かと思います(正確にいうとギャンブルですらないのでおなじ土俵で語ることは出来ないのですが)。


そもそも、家からすぐちかくにあるという時点でカモにする気満々なのですから、そんなところには近付かない方が得策だというのは分かり切ったことです。


ですが、それでもついつい引き寄せられてしまう人たちが居る。少なくない数の人たちが、『捨てゲーム』であることを承知で通ってしまう。


そこには日頃のストレスを発散するという目的があると思います。会社や家庭で、居場所がなく、また他にやるべきことも見つからない。


そういう人たちが、人混みと喧騒が支配する雑多な空間を求めて彷徨うのなら、パチンコ屋と飲み屋しかない、ということになります。仏頂面でいても誰からも非難されないし、家庭で奥さんから、しょーもない旦那、という目で見られるよりは、そういう場所に居た方が何倍も居心地がいいわけです。またそこには同胞の士が多く集まるので、ある種の連帯感のようなものも生まれます。


私も以前は、パチンコ屋なんて裏で操作しているから絶対に勝てない、こんなところに通うなんて愚の骨頂だ、と思っていたのですが、よくよく考えたらそんなことはみんな承知で通っているんじゃないか?と思うようになって来ました。


あの耳をつんざくような轟音と、パチンコ玉が釘に当たって落ちて行く時間が、何物にも代え難い至福の時なのでしょう。そういう人たちにとっては、私が昨日のエントリで語ったような、『生きている実感』を得ることの出来る、唯一の場所なのかも知れません。


私はセミリタイヤ民なので、これからもパチンコ屋に通うつもりはありませんが、なんでも上から目線でそういうものを切り捨てるのではなく、なんらかの理由があるから存在しているんじゃないか?という目で見ることも大切なんじゃないかと思った次第です。

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