会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

会社という形態

いまは何処も人手不足のようで、広告にも結構な数の求人が入っています。


また条件も、以前は年齢や最終学歴など、結構縛りが多かったと思うのですが、最近はとにかく人が入って来ないというので、そういうものを問わない求人が多くなって来ていますね。


それはそれで結構なことだ、と思っているのですが、それでも内容が響いて来ません。


幾らそういう縛りを無くしても、会社という所への不信感が消せないからです。


安定した給料と引き換えに、上層部への服従と自身の時間を差し出す、それが如何にバカげたことかというのがわかってしまったからです。


そして何処かの組織に所属していないと、なんとなく疎外されたような感覚を抱く、この日本社会の仕組みが、そういう流れにうまく加担していた、ということがあきらかになって来ました。


つまり官民が総出で、こういうことを国民に仕向けていた、ということですね。


それに気付いてしまった。なんて自分を『目覚めた人』扱いするわけではありませんが、そもそも会社勤めにずっと違和感のようなものを抱いていた身としては、幾ら条件が緩和されても、もう会社なんてところに戻るつもりはさらさらないわけです。


そして、幾ら条件を良くしても人が集まらないということは、もう会社という形態が終わりに近付いているということじゃないか?となんとなく思い始めています。


いままでは企業側がいいように集まった人材をふるいにかけ、そして服従を強いていた、その見返りとしてわずかばかりのプライドと安定した給料があったわけですが、そこに至るまでの過程が無慈悲過ぎて、人としての大事なものを奪っていたのでは?とさえ思っています。


会社という形態が、無くなっていく予兆ではないか?そんなことを感じています。

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