会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人生は罰ゲーム

昔、とあるセミリタイヤブログで感銘した記事がありました。



「働かない暮らし」というブログを更新されていた『おのんこ』さんの記事です。


いまはブログ休止されていますが、最近セミリタイヤブログ村が詰まらなくなった、という風評が立ったのは、この『おのんこ』さんを始めとするクセのある記事を書くブロガーが軒並み休止してしまったからだと思います。あとは提灯記事ばかりを更新している面白味のないブログが目立ちますから。


そんな批判はさて置き、おのんこさんの独特の視点は面白いです。厭世的な世界観はすこし私と似ているのかな?とも思います。


『突然だけど、この地球って、
魂の流刑地というか監獄(地獄)だから。


修行、というよりは罪を償わされているというか。
死んでもまたやり直し。
全部忘れて転生させられてしまう。


理由は、「延々と罪を贖う罰を下されている」ため。』引用


私もこの世に産み落とされたのは、前世、もしくはそれ以前に犯した罪を贖うため、と思っています。それじゃなきゃこんな魑魅魍魎どもの跋扈する荒廃した現実に放り出される理由がないからです。


この世には様々な世界がパラレル(並行)に存在していて、罪を犯さなかった人間、それなりの罪を犯した人間、重罪を犯してしまった人間など、それぞれの罪の重さに応じて放り込まれる世界が違って来ます。私はどうやらそれなりの罪を犯してしまった人間に属しているらしく、物心ついてから、常になんらかの心理的葛藤を心に感じています。これはきっと、一生かけて罪を贖え、ということなんだと思います。


だから会う人間会う人間、すべて自分の合わせ鏡のような罪人尽くしです。こんなんでよくみんな平気でいられるな、と思うのですが、似た者同士ということなのでしょう、それぞれが、みんな地獄の業火にもがき苦しんでいるのです。


これからどう生きるか?まあこの葛藤を抱えたまま、天寿を全うするしかない、と思っています。そして出来るだけ罪を贖って、次にはこんな罪人どもの監獄に放り込まれないよう気を付ける他ないでしょう。そしてすこしでも心が休まることを祈っています。

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