会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

動物に惹かれるワケ

私は現在特定の組織には属しておらず、人と接する機会はごく僅かです。


買い物でレジの際に店員さんとひと言交わすくらいで、社会的なやり取りはほぼゼロと言っていいと思います。


これは自ら招いた状況で、出来るだけ人とは関わらずに生きて行きたい、という願望を、自然に追求していった結果といえます。


その一方、家で飼っているニワトリや、山で逢う生物、散歩していて遭遇する犬などとは、相互的な信頼感を持って接しています。


昔はこういう人間は、なんだか閉鎖的でうす気味悪いと揶揄されたものでした。あいつは動物としかコミュニケーションが取れない気持ち悪い人間だと。


ですがいまはどうでしょう?TVには動物の番組が溢れ、みんなが動物に癒されています。


それに、いまの人間はなんだか複雑怪奇です。みんなが金勘定にあくせくし、見えない階級制のようなものに縛られ、あいつは自分より上か下か、などという格付けに終始しています。


もう女性とは積極的な交際をしなくなって久しいですが、女性との相互理解は至難の業のように思えます。たとえこちらが好意を抱いたとしても、その前に社会的な地位、身分、将来性のようなものを洗い出され、基準以下ならやんわりとお断りされる、そんなシステムが働いてるような気がします。


もう人間同士では、魂レベルでの交歓は不可能とさえ思えます。腹を探り合いながらの付き合いしか出来ないし、またいつ騙されるかわからないという、猜疑心に塗れた状況で生きているからです。


こんなにも絶望的な状況で、それでも生きて行こうとするならなんらかの拠り所を持たなければいけません。私にとってはそれが自然や動物との触れ合いです。


動物は、こちらの人となりを検分する、なんてことはなく、その人の本質だけを見抜いて付き合ってくれているような気がします。うまく言えないのですが、青山の高級マンションに住んでいようが、崩れかけた限界集落の古民家に住んでいようが、自分にとって全幅の信頼を置ける人物かどうかという一点によってのみ、その人を評価します。そうしてその判断は揺らぎません。


反吐が出そうな人間界のなんやかやに較べて、なんと潔いことでしょう。


私はもう動物との交歓さえあれば、人と関わらなくてもまったく問題ありません。

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