会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

自然の雄大さ

私は在職時、鬱憤が溜まると自然を見に行っていました。


こういう場合に行く典型的な場所として、まず海が浮かびます。雄大な水平線に沈む夕陽、それだけで、なにかが許されたような感覚を抱くでしょう。


ですが私の住んでいる場所は海に行くまで最低でも1時間は掛かります。鬱憤が溜まるたび、そこに行くことを考えると費用対効果の面で効率が悪過ぎます。


また、私は少々回りくどい性格をしていたので、海を見に行ってもそんなに心が晴れないような気もしていました。海沿いに住んでいる方々とは違って、スコーンと突き抜けないような感じです。


よって、私が自分の生まれた町の山や川へ向かうのは、当然の事だったように思えます。誰もいない林道や、ひっそりとした森。そういった場所に自分の居場所を見つけていました。


そして、山にはよく斜面が崩れかけている箇所もありました。また林道を作るために山肌を削って、地層が見えている場所もあったりしました。



私はこれを見るたび、わずか一瞬で過ぎ去るようなことに煩わされている人たちの、愚かさを実感せずにはいられませんでした。


現代のような社会になって、せいぜい150年です。その前は、人々は効率なんてことは考えず、もっと自分の内なる声に耳を傾けて生きていたはずです。


いまの会社で効率だなんだと喚いている人たち、そしてそれを正しいと啓蒙している経営陣、そんな人たちはほんの150年ぐらい続いただけの事例を無理やりスタンダードに仕立て上げているだけです。


そのおかげで要らぬ苦労を強いられ、心を打ち砕かれてしまった人たち・・・。その一人として、こんな茶番に付き合う必要はないんだ、ということはわかっていたのですが、それに対抗する有効な生き方が見つけられず、いつでも自己嫌悪に陥っていました。


そんなとき、よく地層を見に行っていました。遥か昔の、いつの時代だったかもわからないぐらい昔の大地。そういうものが、実際に見える形で眼の前に提示されています。


本当に、いまの資本主義社会なんて、この地層のわずか数cm に過ぎません。その他の圧倒的な時代は、人間も動物も、ただただ生きるということを実践していただけです。


地層を見ると、現代社会の浅薄さが改めてわかります。また、それに乗っかって良からぬ企てをしようとする人たち・・・。


最近は本当に働くのがバカらしくなって来ました。だってこれはすべて本当のことなんですから。

×

非ログインユーザーとして返信する