褒章は栄誉か
毎年この時期になると紫綬褒章とか、叙勲などの受賞者が発表されます。
特定の分野での優れた活動や、国に対する功績のあった方々に対して、政府が送るんだとか。
ですが、これは殆どが国に対しての服従の姿勢を見せた方々に対する『ご褒美』のように見えてしまいます。
オウオウ、お前等はお国の意向に逆らわなかったな、愛い奴じゃ、これを取って置け。
良いか、これを持ってるということは、伝統や格式を重んじるこの国で最上の階級に手を掛けたということじゃからな、これからも自身の活動で世に知らしめよ。
・・・そんなメッセージが裏に込められているような気がしてなりません。
実際、これを受章するのは、日本の古くからの伝統を守っている表現者や、体制に逆らわない(体制に従順だった)労働者ばかりなような気がしてなりません。
私の尊敬する表現者には、この褒章の受章者がまったく見られません。また、労働者を見ても、どちらかといえば上流階級側の人々を選んでいるような気がします。
そういう人たちに較べて、キャバレーのおばさんや、日雇いのオジさん連中が劣っているとでもいうのでしょうか?
どちらもこの社会でれっきとした役割を果たしている人たちです。
生まれや教育の差こそあれ、それぞれの役割をこなしているという意味では上位で活動している方たちとほぼ同じです。それどころか、恵まれなかったであろう自身の進み行きにも腐らず、日々を精一杯生きています。
本当の叙勲は、普段は日の目を見ることのないこういう方々にこそ送られるべきであろうと思うのです。
伝統や格式に縛られた現在の褒章や叙勲の制度なんて、なんの価値もありません。