会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

ゴミなのはどっちだ

前回のエントリで思ったのですが、私はいままでに10数回会社を変わって来て、最後の会社も円満とは言えない形での退職となりました。


これは私になんらかの問題があるということを示唆していると思います。私は行く会社行く会社でどうにもならないぐらいの状況に陥って、そこでやむを得ず退職という形を選んだのです。


いままでにコイツはクソだと思った人間は沢山います。最後の会社でも、数人をどうしようもないくらいの俗物と認定しました。


ここでそいつらの所業のようなものをあげつらっても、具体的な例を挙げられないのでイメージが湧かないと思います。とにかく狡猾で、人の足元を見て来るような人間でした。


私から見れば紛れもないゴミのような奴らなのですが、じつは周りから見れば、私もそいつらとどっこいどっこいかも知れないと思うようになりました。


何故なら私が10数回会社を変わったという事実は、私の方にもなんらかの問題があるということに違いないからです。それがなんなのかというのはわからないのですが、精神的疾患というのは大体わかります。


ですがこの歳までそれを直すことは出来なかった。それが私という人間の病根なんだろうと思います。


そして会社組織という場所からは見切りを付け、独りで出来るなにかを見付けるということに舵を切り始めた。その方が自分の特性みたいなものを発揮しやすい、と思ったからです。


また、私の往く手を阻んで来たゴミ共の猛攻に晒されないという利点もあります。責任も成果も、すべて自分の選択の結果に拠るからです。


自分がゴミなのか、あいつらがゴミだったのか、この選択が正しかったか否かでではっきりすると思います。

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