会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

何時から宗教はこんな団体になったのか

こんにちは。


昔はそんなことは無かったと思うのですが、いまは宗教と聞くと、まずいい印象を抱くことがありません。


オウム真理教に代表される、カルト団体。また信者から金を巻き上げる団体は枚挙にいとまがありません。世界に目をやっても、宗教的な食い違いから来るテロや抗争は、どこかで起きています。


私が宗教と聞いてまず思い浮かぶのは「カネ」です。それは最近世間を賑わせている幾つかの団体ばかりではなく、普通のそこら辺にあるお寺もそうです。お坊さんたちのお金に対する貪欲な姿勢は、傍から見ていてもビシビシと伝わって来ます。


これは恐ろしいことです。もちろん宗教といえども綺麗事ばかりではやっていけません。そのお寺の維持管理費や、本部に納める上納金など、様々な経費は掛かるでしょう。ですがそれを差し引いても、そのお金に対する執念みたいなものは常人の遥か上を行きます。


これでは宗教なんていうものを、信じる正当性みたいなものがなくなってしまいます。私たちが宗教というものを必要とするのは、心の平穏を求めるからであり、決してその団体へのお金の経路を作るためではありません。


『信者=カネ』、『幹部=悪』、『思想=弾圧』


これらのワードが、なんの違和感もなく入って来てしまういまの宗教という名の付く存在、本当にヤバいです。


これならまだ表向きに、お金が大好きだ!!と主張している業突張りの方が健全だと思います。


尾崎豊の名曲、『シェリー』の一節に、


「シェリー あの頃は夢だった 夢のために 生きて来た俺だけど


シェリー お前の言う通り 金か夢か わからない暮らしさ」


というのがありますが、これをいまの宗教家のドロドロの脳内に響かせたい、と切に思います。


※このテーマはあまりにも重過ぎて、掘り下げて行くのに時間が掛かりそうなので、今回はお茶を濁してしまいました。またいつかじっくりと取り組みたいと思います。

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