会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

世のなかが便利になることは自分の首も絞めていることになる

こんにちは。


Amazonが業績不振により大量の解雇をするというニュースがまた入って来ました。


業界の雄と言われる先端企業でも、こういう悪手を使うことがあるということですね。アメリカは人材の流動が日本よりも激しいので、それほど大事にはならないのかも知れませんが。


話しは変わりますが、日本の企業もかなり経営統合を進めて来て、大きな資本がとにかく大きくなって来ています。周りを見渡せば、そういう企業が独り勝ちをしているという印象があります。


それが我々消費者に与える影響はどのようなものか?利便性という意味では、上がっていると思います。大きく快適な空間でショッピングが出来、ひとつの場所ですべてを間に合わせることが出来ます。


昔よくあった個人経営の小売店なんかは、値段的には太刀打ち出来ないことと思います。センスを活かした品揃えなどで対抗するしかないでしょう。また、地域活性化などで地方の商店街が再注目されているので、その流れに乗るという手もあります。


ですがいまの所、大きな資本力を持つ企業の勢いは止まりそうにありません。都会はいうに及ばず、地方に至るまで、あの無機質で巨大な施設に占領されつつあります。


消費者としての観点から見れば利便性が上がるというメリットがありますが、労働者という観点から見ると、じつは自分たちの首を絞めているということに気付いている人はいるでしょうか?働き口を探す場合、大企業レベルの選別眼で振るいにかけられ、それで仮に通ったとしても、コスト管理を徹底した幹部が必要最低限の時給でこき使おうとします。


そうしてその人が幾ら優れた資質を持っていたとしても、社内規定という名の下に給料は一律とされ、個人の采配というものはほぼ通用しません。それは大企業側にとっては、公平性という言葉で言い訳が立つので、なんとも都合のいいことです。


これらのことを踏まえると、規律や締め付けは大企業のレベルで、給与はパートレベルという、恐るべき搾取構造が浮かび上がって来ます。大きな企業はコストカットに余念が無いので、すこしの遊びも許してくれません。人情味なんていうものは、期待出来ないのです。


つまりこの社会が、効率やコストカットを至上命題にすればするほど、労働者側の選択の余地は狭まって行きます。どれも同じような外観で、同じような中身の大規模商業施設が出来れば出来るほど、大企業側は利益を内部留保し、労働者側は搾取され、業務は過酷になって行く、という寸法です。


この構図に気付かないで、休日はショッピングモールでお買い物、なんてやっている人たち、かなりヤバイと思いますよ?

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